歓迎の宴の料理(宮古島平良市・レストラン野村)
昨年の春だっか…、かつて小学校の1~2年を過ごした『宮古島』へと旅をしました。終戦直後の外地からの引き上げ船が、大きな台風で沖縄本島に辿り着けず、取り敢えず次の船便までとの事で、島の親戚を頼りにして、其処での生活ということになったのだが、結局のところ都合3年間も赤貧の生活に喘ぐことになったようだ。(…「お風呂にも入れずアカだらけの少年時代…」)
父親は有能な人だったが、定職にもつけずにキビ作農家の日雇人夫だとか、占領軍アメリカ群島政府の臨時雇用の職とかで、B円軍票10~20$程度の収入でした。両親が…「何時の日か米ご飯を食べさせた上げるからね」…と言いながら、持たしてくれた「吹かし芋」が学校への弁当だった。今浦島とはこういう事だろうか。何十年ぶりかに幼馴染みが集まって、御馳走してくれた豪華な料理に心から感激をしました。
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