7/12/2007

南城市の教育委員会の資料より・・/

   【斎場御嶽】(せいふぁーうたき)
  何年ぶりかに斎場御嶽(せーふぁーうたき)を訪ねた。市町村合併で南城市と自治体名を改めて、荒れ放題だった「御嶽」も立派に整備されていた。国道の南部へ通じる海岸線より大きく右折して、風光明媚で眼下に『久髙島』の見える山の頂きにこの御嶽が在る。【南城市教育委員会資料より】→「琉球王府は政治的支配者である国王(男性)と、それを守護する神女であり宗教的最高権威者である「聞得大君」(きこえおおきみ)によって、祭政一致の体制とっていました。聞得大君即位式である御新下り(おんあらおり)が執り行なわれたのが『斎場御嶽』であった。時の国王の聞得大君は、斎場御嶽と「久髙島」を中心に、東方(あがりかた)の聖地巡拝を一年おきに行っていました。時の琉球国王が行幸した場所が、ここ南城なのです」と書き記してありました。神女(かみんちゅ)のヘアスタイルは「カンプー」と呼び、かんざしの事を沖縄の言葉では「ジーファー」と称します。

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