8/31/2007

夜明けの一杯の珈琲で其の日が始まる・・/

          [・・排気口から漂う珈琲の香り・・]   今朝のことだけれども池袋駅のスクランブル構内で・・、見知らぬ人(中年女性)から、「駅の近くに静かで美味しい珈琲屋さんを御存知ありませんか」と聞かれた。当初、余りにも人懐っこく笑みを浮かべて近づいて来られたので・・、ひょっとすると自分の現場の御近隣の住民さんか、その昔の仕事か何かでお付き合いのあった知己なのかと思った。 [^◇^] ボクが答えに窮していると別の人に同じ声をかけていた。それにしても~『珈琲屋』~という表現がとても気にかかった。お昼時間後のコーヒーブレークタイムに喫茶店のママさんに其のことを話したら、「そう言えば長野県の松本駅前で『いつもの珈琲屋で待ってるネー』という、セピヤ色のネーミングを聞いたことがあるわね」とのことだった。ははッ!。

8/30/2007

沖縄では毎晩のように5千円の宴会が・・/

    [酒座で四~五人集まればサンシンが奏でられて賑やかな唄が]   確か姪っ子の結婚披露宴の翌日だったと思うが、お婆の88歳「トゥシビー」の内祝いで2~30人が集まった。日常的にはデイケアーに行くことが精一杯で、東京から駆けつけた一番婿のボクにも「おたくさんは何方さんでしたかね・・」とニコニコ笑っている状態・・。曾孫からの花束の贈呈と記念品のプレゼントを受けた後のスピーチで、「皆様方のご期待に沿うよう99歳まで生き抜きます」とか、面倒を見ている人が吃驚するような挨拶をしていたっけ!・・。そのスピーチに腹を抱えて笑いながらサンシン(三味線)を弾いているのは、ただ今、宮古島在住のおきぬさんの末の妹だが、4~5ヵ年の間に宮古民謡も漫才もとても上手になった。

8/29/2007

雷雨を工事騒音と間違えられて!・・/

              [・・右動脈が正常になった・・]   昨晩、仕事を終えてビジネスホテルでの事だが・・、シャワーを浴びて後ヘアドライヤーをかけていたら、近隣さんからケイタイに電話が入り、「工事の騒音が煩くてテレビの音が聞こえない!」との抗議を受けた。「バカヤロ!ー」だの「アホンダラ!ー」だの散々悪態をついて頂いた後で、言葉穏やかに「それは絶対に工事現場からの騒音じゃありませんよ・・、意地悪なアナタ様への天罰の落雷じゃありませんか…」と申し上げて電話を切った。もう今はドバーンと血圧が上がっても【写真】の右内径動脈はステントが入っていて大丈夫だ。今朝、その方の奥様と路上でお会いしたら「昨晩は誠に申し訳ありませんでした。穴があったら隠れてしまいたいわ・・」との事だった。

8/27/2007

苦労や難儀は買ってでもやれと言うが・・/

              [・・今日から夜間作業の対応で~す・・]   従来の工事作業時間は午前8時~午後6時だったが・・、先々週の週末に近隣各戸へ「時間延長」の告知をして、今日から12月の竣工まで夜の9時までの作業となる。現在、ビルの躯体が地下2Fと地上階の8Fまで建ち上がっているのだが・・、低層階のガラスの入ったフロアから騒音の伴わない作業を夜間やらせて頂こうということなのだが、その対外的な『・・対応業務・・』を担う者としては、これが中々神経は使うし苦情の対応などで大変な仕事なのです。国道に面した南側はともかくとして東・北・南の近隣住居までは4mの区道を挟んで、わずかなハナレしかなくて外部で工具のペンチを落しても大きく響くのである・・。//

8/26/2007

電話で「歩けるなら帰っておいで」と言われてもね…。

  [・・大昔の沖縄の一般的な民家・今でも山原には多数あるよ・・]   日曜日になると島の[友人・知人・兄弟]達から・・、「島かい戻ってぃ来-うんなぁー」(島に遊びに来なよ)とお誘いの電話が入って来る。酷い奴になるとサンシン(三味線)奏でながら♪「昔のアナタが大好きだよ~、キップ送るから早く来てよ~」♪♪と下手な唄を謳う。お断りのつもりでで「そうは仕事は休めないよと」といなしても…、「病気するまでアンタを扱使った会社に義理立てしなくてもよいじゃないか」などと言いたい放題だ。♪あんそーてぃや、浮世や渡ららん♪♪んと謳い返しても誘いの電話は尽きる事がない。

野生動物の観察も面白いもんだね…。//

    [・・地上3mの木の枝の三つ又に子猫が・・]   僕の住んでいる共同住宅の100m先に大きなブッシュがある。どうやら其処を生活の拠点としているらしいが、3組ほどのノラ猫の家族が恵まれた辺りの飼い猫とエリアを共有しているようだ。飼い猫は鈴の付いた首飾りをしていて色艶も良くて太っている。片方の[野良一家]は野生生活で腹を空かせているようで、その身は痩せていて常に眼をランランと光らせていて嗅覚も鋭い。【写真】は僕の小さな家庭菜園の傍に在る山桜の木の枝の三つ又で、飛蝗やコーロギとかカマキリの動向を見極めて狙いを定めている様子!。餌の取れない場合は可哀相だなと思って木の下の皿に、沖縄産の最高級品の削り節で 「猫マンマ」を作って置いているが見向きもしない。///

 

8/25/2007

秋の雲と靄のかかった霊峰「富士山」の美しい事・・//

[蛾ヶ岳」 (ひるがたけ・1279m)山上より撮った富士山・・TOPP0さん撮影   今日がこの夏の残暑の最後のピークらしくて・・、現場の寒暖計の水銀柱は8時頃から鰻のぼりに上昇中だ。先ほど今日3度目となる外周での『挨拶まわりを』行っていたら、近隣の住民さんから「今日も[打ち水]のサービスを宜しくお願いします」との要請を受けた。通りがかりにそれを聞いていた方が、「御婆ちゃん、そんな事を頼んだりするから、この連中は益々図に乗るんだよ!・・」と嫌味を仰られていたが、夏場に入ってからずっと続けてきた事だから今日も実施をしよう。今日は出掛ける前に自宅の冷蔵庫に500mmの缶ビール2本も冷やしたので、どんなに暑かろうがそれを楽しみにして仕事に精出すことにしよう!・・//

8/24/2007

素敵な「写真」を有り難う!・・//

        [・・まるで油のような波の緩い水面ですね・・]  TOPPOさんからメールで送られてきた[山梨百名山]の一つ「蛾ヶ岳(ひるがたけ)」(1279m)山上湖の「四尾連湖(しびれこ)」の写真で~す。暑い真夏ともなれば人々は群れをなして海へ海へと涼を求めますが、ボクはどちらかというと湖畔の宿をベースにして、渓谷とか山間の渓流を訪ねるのが好きです。その理由は人・人・人の地上や火鍋のような砂浜よりも・・、山の外気は日中でも4~5℃も低いからです。河口湖、山中湖などの富士五湖の直ぐ近くに[富士八湖]なるものが存在したとは!?・・・。家に帰ったら「山梨百名山」の本を今一度紐解いてみよう!・・・///

 ああされど湖のみは いつもながらの風光に かげうららかに         

           とこしえにしびれの湖と たたえられてあれよ”

                         【詩人・野沢 一 の碑文より】

残暑の間は沖縄バージョンのメニューは売れると思うよ・・/

            [・・蛸の入っていないタコライスも・・]
  よく佐賀県人の歩いた後には「ペンペン草も生えない」と言うけど・・、僕の歩いた跡には[沖縄の食文化というかゴチャ混ぜのゴーヤーちゃんぷるうー等]が必ずといっていいほど芽生える!。 (^◇^)  先週の17日だったか沖縄とは縁もゆかりも無い東池袋の定食屋さんで、「あの沖縄の夏の味覚である[・・ゴーヤーチャンプルー・・]を出したら即日完売だと思うよ」と勧めたら早速限定メニューで売り出した。ライスにスープと小鉢(ヤッコ)にアイスコーヒ付きで880円。この夏に沖縄で思い切って日焼けした【顔黒】のネーちゃん達が、店内に入れなくて歩道に行列をしてシーサーみたいな顔に紫外線を浴びていた。ハハッ!。  

夏休みを取ってもいいですよと言われてもね・・//

       [・・シーサーの吽像の写真(TOPPOさん提供)・・]   このところ現場のニーズで連続勤務が続いている。気力も充実をしていてヤル気満々なのだが・・、現場の外周を一回りしてくる度に息切れ状態だ。元来が夏の暑さには強いし汗をかかない体質なので、夏バテなどではなかろうが二週間の病気療養で身体が鈍ったのだろうか・・/ 昨日はお休みを取ったが「お昼ご飯」の後で延々と深夜まで爆睡をしてしまった。一日も早く立て直さないと仕事が楽しく感じられないな・・。//

8/23/2007

さて、お洒落な「優歩人」となるか・・/

             [・・竹製の「チャプリン・Stikc」を購入・・]   4月初旬の発症以来3度の入退院であれこれ四ヶ月が過ぎた。今般のカテーテルでの手術の成功で華麗なる社会復帰となったが、発症の際に後頭葉の脳細胞が死滅して左の視力は完全に失ってしまった。相変わらず左足・左手・左耳などに軽いシビレが起きるけども機能は次第に回復しつつある。今、一番怖いのが近場の視点の遠近感が喪失して起きる歩行中の焦点が定まらない事だ。この間に「何度も街の歩道や駅の下り階段などで」窪みに杖をさして転倒の恐怖にあった。いま持っているステッキは山登り等に使うストレッチ用でどうも使い勝手が悪い。/・/・/・/・/  今後の安全確保の為に今日はステッキの専門店とかデパートの健康用具コーナーを回った。家族の者があらゆる角度から随分と吟味をして「これが機能的にも、お洒落的にも良いと思う」と選んでくれたのが写真の逸品!・・。釣竿用の最高級の竹で創った燻し銀のような彼のチャプリンが使っていた一本仕上げである。

8/22/2007

主治医の「ご自分ペースで仕事して結構です」に感動す!・・/

      [・・この風景のように頭がスッキリした・・]  診療者「待合室」での待ち時間のとても長かった事・・。予約時間を45分ほど過ぎて医務室に呼ばれた。主治医から「今まで手術に立ち会った医師3人と、検査主事らを交えて協議してましたが、もう全く新たな脳梗塞の発症は無いものと思います」という診断が下された。今後は来月5日のMRI(電磁場での脳内精密検査)の結果を見て、3ヵ月後・6ヵ月後・1年目の外来検診を受けて頂くという事になりますとの事だった。Dr.から「それにしてもリハビリは、懸命に良く頑張りましたね!」と褒められた。それまでの緊張感がスッスッ~と消えていった。 医師団と看護士に皆様と、ご声援・ご支援、メールで励ましてくださった全ての皆々様に、心からの感謝と御礼を申し上げます。

日本列島の全てが燃えているようだ!・・/

 [アメダス気温は日本列島の全てが真っ赤っ赤っか・・]   病院に行く前にちょっと庭の木にお水でもと、コンクリートの敲きのサンダルへ足をいれたら・・、アチッチィ・アチッチィ!と大きなな悲鳴!・・。// 今日の東京八王子の最高予測気温は36℃以上~という。昨日、現場近くで近隣さんから、「〇〇さんは何処に住んでいるのですか?」と聞かれた。嫌な予感がしたけど「八王子です」と答えたら・・、「八王子って大月市(山梨県)の西側でしたっけ・・」と言われた。(>_<) ちょっと頭にきたので、「暑さ的には沖縄の南の果ての台湾に近い大きな無人島です」と補足しておいた。もしも37~38℃になったら暑気払いで中ジョッキ3~4杯呑もう!・・・~/// 

残暑が厳しくて、扇風機まで引っ張り出した・・/

 
  さて、今日は退院後の初外来の検診日だ。午前中にMRIなど幾つかの検査をし・・、そのリアルな画像を見ながら、今後の治療方針を決めるとの事だ。主治医から経過が順調と認定されれば、この後は「6ヶ月検診・一年目検診」という事になるのだそうだ。この病気での4回目の手術入院は御免だ!。

8/21/2007

夏山からの一通のメール・・/

                   [四尾連湖]  メル友で心の友でもある横浜のTOPPOさんが・・、多情多感で素直な青少年をいっぱい率いて、山梨県の山の頂の湖『四尾連湖』で合宿中との事。湖畔の宿の「水明荘」辺りの平地では電波が入らないと、南アルプス連峰の見える山の頂から、涼しげな「湖の風景」の写メールを送ってくださった。確か今でも林の樹木の枝から枝へとムササビが飛び交い、フクローが夜陰でホーロホロと鳴き・・、 夜空一杯に様々な星座が広がって、掌に小さな流れ星が降ってくるとか・・・。都会の喧騒とは無縁な静寂の世界なんだろうね・・//

薄氷の脱出「60秒」中華航空機の炎上爆発!・・/

           [・・沖縄本島の東海岸の風景・・]   昨日のテレビ報道で見た、那覇国際空港での「中華航空機の炎上爆発事故」には余りの生々しさに吃驚仰天をした。駐機場での2人の整備士の燃料漏れの発見が、もう1~2分遅れたら死者多数の大惨事となったえあろう!。[那覇・≧≦・台北]を僅か60分で結ぶこの路線は、隣国のアジア諸国から「台湾」経由で多くの観光客を運んで来る。沖縄の島々にアジアの観光客が数多く見受けられるのは、この利便性の極めて高いドル箱の国際線の空路と、同じく〔台湾・韓国〕等を結ぶ定期貨客船の就航による。この事故で一番恐れるのは台湾からの客人が、インタビューに応えて「もうコノ飛行機には二度と乗らない」と言った一言だ・・。//

8/20/2007

よ~く食べて、うんと働くぞう!・・・/

         [・・こう暑くては天ザル蕎麦でも食べないと・・]   午前中の[打合せ・諸会議]が大幅に遅れて、いつものカレー専門の店に行ったら、「・・売り切れ御免!・・」の短冊が風に揺れていた。仕方がないので馴染の『手打ちの蕎麦屋』さんへ。カロリー的にはカレーもお蕎麦もほぼ同じだ。暑いからといって冷たいものばかり食べると・・、一旦スーツを脱いで次に着る時と同じような気分になる。10年前だったか「俺はトーストアイランドの出身だから、今後誰がどう言おうとネクタイは締めない」と宣言した。あれ以来どんなに批判されようとノータイで通している。でも社内でスタンドカラーのシャツを流行させた。ハハっ、「紳士の国の英国ではこれが正装なんだ」と尤もらしい理屈も今ではスタンダードとなった。(^◇^) 明日は何としてもカレーを食べることにしょう!・・。//

いやはや今日も18.500歩を越えちまった・・/

          [・・涼しげな布袋葵の花・・   現場の外周を一巡してくるだけで汗ビッショリとなる。行き交う人同士の挨拶も、「いやぁー、暑いですなー」で通じてしまう。恒例の盆踊りが終わったかと思うのも束の間か・・、もう、町内の有志の方々は「氏神様」の9月の例大祭の諸準備で慌ただしいそうだ。すっかり顔馴染となった町内会の婦人部の役員さんが「〇〇さ~ん、今日も打ち水をお願いね!ー」ときた。この町にやって初めて来たのが昨年の3月なので、あれからもう一年6ヶ月の長期ステイとなった。いろんな事があってすっかり老け込んでしまったが、次の新たな大型現場はイズコとなるのやら・・・//

今は『沖縄』が一番涼しいのだそうです…/

        [ちょっとした公共施設にはトックリ椰子の植栽が・・]   入院でお世話になった病院の看護師さんとか・・、職場の若い社員さんたちが「沖縄で本当に素敵なバカンスを過ごしました」と大きな感動話しを土産にして続々と東京へ戻ってきた。シーズン中はディスカウントのクーポン旅行がないので、安いホテルとか民宿を何組かに紹介をしたのだが、皆さんのほとんどが「いやー宿の女将さんや、従業員さん達が優しくて親切で、お食事もとても美味しいし、今後もあそこを定宿にします」なんて言われると何だか嬉しくなってくる。その一軒一軒に御礼の電話を入れているのだが・・、ある女将が「ほかでもない〇〇さんの紹介状を持って来たので、日曜日にはドライブがてらヤンバルまで連れて行ったサー」と、大声でヶッケラヶッケラ笑っていた。あのシーサー小母さんは儲かった積もりのようだが、昔から瓶の底に小さな穴が開いているので、来年3月の決算でも大赤字かもしれないなあ・・・/ (^◇^) ははッ。

8/19/2007

電話で「静養しに島に帰って来い」と言われてもね・・/

  [・・目を瞑り耳を澄ますと沖縄の浜の潮騒の音が・・]   このブログに「ボチボチ仕事を再開した」と書いたら・・、島の〔兄弟・友人・知人〕達から一斉にブーイングが。中には「もう充分に仕事の役割を果しただろうから引退しろよ」といのも・・。東京では「まだボクの業務ニーズはあるんだよ」と言っても中々納得をしょうとしない。退院後仕事を再開した一昨日が18.500歩、昨日は「今後は作業時間を午後9時まで延長します」というチラシの配布で26.050歩もウォークした。医師からは「出来るだけストレスの溜まる仕事は避けてください」という忠告を受けているが、僕の業務の専門分野は長時間勤務とストレスの坩堝そのものだ。今日は其のストレスの発散のために、朝から日頃の3倍の時間をかけて庭の草ムシリをした。びっしょりと汗を流しストレスを吹き飛ばして、冷たいシャワーを浴びてギンギンに冷えた麦酒を呷る。年が開けて来年の夏には長期のステイで島に戻るから・・、年若きドシンチャーぬグスーヨーさい・・それまで長生きしていろよう!~。

今年は残暑も厳しいですなぁ~・・/

    [・・ヒルギ(マングローブ)の涼しげなこと・・]  ※自室の額縁に入れて飾っているマングローブの写真】 西表島の浦内川の[汽水域](淡水と海水が混じっている水域) に群生している。根っ子の下には小さなエビとかカニ類が寄生しているが・・、枝葉の部分に時にはグローブ程の大きさの椰子ガニがウジャウジャと!。それを見つけた者は決して他人に自慢話などで喋る事はない。海中の蛸壺と同じで一旦タコが入ると獲っても獲っても次の蛸が入る。(^〆¨) 夏の季節となると何故かしらマングローブを思い出す。山の頂近くから流れ流れて来る川の河口の水温は低くてとても冷たいのだ。此処では地球の一回転というか一日24時間がとても緩やかだ。今から40数年前に隣の【台湾】から持ってきたヤシ類の実をインダー農場に1万個ほど植えた。それが今「沖縄の街路樹」として沖縄本島とか離島の至る所に林立している。

暑さも随分と和らぎましたネ・・・/

           [・・ガラス(絵画)フォト・・]   一昨日・昨日と連ちゃんで[職場=現場]へ出向いた。手術入院から二週間ぶりなので少し不安だったが・・、可も鳴なく不可もなくではあるが仕事はCレベルながらソツなくこなせた。半盲でステッキを頼りにしてのスローな歩行なので・・、他人様の邪魔にならないようにと歩道の左端を歩んでいる。退院の日に地元八王子駅前で中年男性に、「身障者と出会うと避けなければいけないし、実にオレはウザッタイんだよな!」と罵声を浴びせられて以来、できるだけ人様の邪魔にならないようにと気をつけてはいるが・・、先の発症で後頭葉の脳細胞が死滅して失った視力はもう戻らない。今の自分の社会活動の為の課題は現在の軽い「言語障害」をどう克服するかだ。落ち着いて「一言・一句」を噛み締めるように発生しないと、自分の考えの表現ができない事はとても辛いけども・・、現在、童話とか詩集を繰り返し朗読する事でやや滑らかになってきた。

8/18/2007

心配をかけて、愛無ソーリー!。生きていますよ!・・・/


【USA:ワシントンDCから届いた一通のメール】
Oyaho, mo genkini narimashitaka? Mada uchide yasunderu to omoimasu. Open mo bujini oete yokatta desu. Kokowa mada atsui natsudesu. Karadani kiotsukete yukkuri shitekudasaine.

                                 Asako
 
  地球の裏側の海の遥か彼方から、昨日、心優しい一通のメールが届いた!・・。向こうの言葉では手術のことを単純明快に「Open」と言うのだ。(爆笑) う~ん、まだ「開頭手術」しかイメージできないらしい。今回も前述の頭を開く方法と、高度な医療技術を必要とするカテーテルの挿入の、二つの選択肢があった。どれを選択するかは最終的には執刀するDrの判断だ。仕事柄、頭の大きな傷跡があるのは何となく相応しくないと思った。その事を医師に伝えたら後者を選んでくださった。そのデメリットととして、100分の1~2%ぐらいの確立で、人によって例の「心肺停止」の危険が伴うらしい。それに対応すべく心身を徹底的に鍛えたけれども、蜘蛛の糸ほどの細い線で「生命」が繋がった。神様がお助けくださったものと心から感謝をしているしだいです!・・。//

8/17/2007

アっツ、あつッ、ァ暑いですね!…~//

         [・・沖縄県浦添市・牧港の小公園の像・・]   現場の観測ポイントの寒暖計は37℃に上昇した。しかし、鉄板を敷き詰めた箇所でのグランドレベルから、+10~50cm地点で55~60℃に近い。一時半を期して場内で一斉にジェットウォシャーによる散水が開始された。作業員詰め所の室温が39℃との情報が入り、屋根に向けての放水の開始が命じられた。200リッター入りのポリタンクを氷水で満杯にし、塩分の入ったスポーツドリンクを1000本用意をし、全作業員に気温が35度以下になるまで休憩を指示。事のついでに仮囲いの外周の区道にも「打ち水」を行うよう提言をした。古参兵でなければ気付かないサービスがある。ヨボヨボの老兵なれども「枯れ木も山の賑わい」とやら…。知恵を絞ればマダマダ水気があるんだよ!    (^〇^) はは

8/16/2007

又!、新たな別の保険料の納入か!・・/

      [・・介護保険料納入通知書が届いた・・]
  先月のことだったか、役所から『介護保険被保険者証』とかいう手帳が送られてきて、「オイラもそんな年寄りになっちまったかのう」等と、暢気なことを呟いていたら・・、今日になって『介護保険料納入通知書』なるものが届いた。その保険料は第1段階から第8段階まであり、僕は何故かしら第8段階に属していているようで、どうやら年額103.300円となるらしい。今ですら年間で都市民税と国民年金を合算すると、1.800.000万以上も徴収されてアップアップ状態なのに、また新たなお金が着実に出て行くとは大きな溜息が出る。そういえば入院中に『福祉介護士』なる人が「もしもオムツの必要性があればサービスしますが」が声をかけてきたので、 (>_<) 「お前さん声をかける人を間違えているんじゃないか!?」と追い返したが、もうそろそろそういう対象の年齢領域に入ったのかな・・。外は35~6度の茹だるような気温だが背筋にゾクゾクと寒気がしてきた。【写真】は、今回の入院で一度も使わなかった車椅子。これを安易に利用すると足が麻痺して二足歩行が不可になりそうな気がした。部屋担当の心優しいナースさんが「せめて手術室までは車椅子に乗ってチョーよ」言ってくれたがノー・サンキューした。

やはり町医者の処方箋に従うべきか・・/

     [・・退院後お薬が6から4種類に減ったが・・]   【現在服用している4種類の薬】は・・、①.画面右からベイスン(血糖値のコントロール)、②.ブロプレス(血圧降下剤)、③.バイアスピリン(血流促進剤)、④.プレタール(血流促進の補強剤) etc である。今回の入院中は主治医から、①と②の服用は止められていたし、退院の際にもDrから「これを処方した掛かり付けの先生に血液検査などをお願いして、この薬は不要と思われるので服用しない方向で相談してみては如何だろうか」との指導を受けた。早速、昨日、掛かり付けの内科医を訪れて相談をしたら、「この3年間これでコントロールしたのだから、もう2~3ヶ月は服用を続けて様子を見ましょう」と事だった。医者同士の縄張り争いみたいなものだろうが、高価な薬だけに飲まずに済むならばそれに越したことはないのだが・・。

8/15/2007

兎に角 暑い・暑い・暑いですなぁ・・・/

   [・・蝉も涼を求めてベランダの天井で避暑か・・]   今日の日本列島は湯だつような暑さでしたね!・・。/ 群馬県の館林で40.℃ 。埼玉県寄居でも39.5℃ / 私の住んでいる東京都八王子市で37.7℃ // そしてコノ日本で最も涼しいのは[OKINAWA地方]の32.4℃だとの事。※【写真は部屋内の空調効果で幾分冷たいベランダで避暑中の蝉さん】 (賢いね!・・) わが家の「小さな庭」の小畑もこの暑さで地割れしてきた。日が翳ってから水道ホースで思い切って散水をした。打ち水の冷却効果で外気が2~3度下がった。夕方になってベランダのセミは林の木立へと飛び去った。今日の晩酌は冷たいマグロを肴にして冷えたビールといこう!。遥か西の富士山に向かって「乾杯」をすれば、其の先の静岡県の焼津市あたりまで声が響いていくだろか・・・/

看護士さん達の献身的な支えで・・/

     [・・深夜2時ミッドナイトのナースセンター・・]   写真は午前2時過ぎの閑散としたナースセンター。僕の病室は此処から一番遠い317号室だった。同室の患者は何方様も比較的経度の方々で、その週か翌週には退院予定の人々だった。午前7時のナースによる検温・血圧測定に始まり、午後9時の消灯まで人によって看護の手数は違うけども、自分で出来る事は自分で行うという不文律があった。もう間も無く退院なので看護婦さんの手を煩わせずに自力で頑張ろう!。そういう気概というかガンバリズムが働いているのである。この部屋の新入りがナースコールで「お水をください」等と甘えると大きなブーイング♪♪・・。その運動の先端を切ったのは僕だったけれども、手術室へ向かう直前のカテーテル導入口付近の「剃髪」と、大人になって2度目の「オムツ」の着装の際はお世話をかける事になった。うら若いナースが、今日は子供返りでいいのよ!。さあ、パンツは自分で脱いで丸裸になりましょうネ・・、オムツは私が着せてあげますからね・・。それから手術衣を着てもらいます」と言われて・・、随分と長い秒数「ドギマギ・オタオタ・マゴマゴ」してた。(^_^); ははッ。

8/14/2007

頻繁な激励メール有り難う!・・/

     [・・メールなどの発信基地は此処だった・・]   手術直後のI CUでは点滴の5種類のボトルに直結され、排泄などはオムツ(屈辱的)もしくは尿瓶だったので、家族の付き添い看護とか外部との交信も不可だったが・・、24時間が経過してHCU室に移ってからは精神的に非常に不安になった。メール友達のTOPPOさんへ恐る恐る発信を試みたら、直ちに心優しい温かい返信がメールバックされてきた。監視役の美ゅらナースさんが、「私は何も見ていませんから返信なさって結構ですよ」とそんなふうに囁いた。まだ血圧が上65に下も65のレベルだったが、「手術はちゃんと成功し、確りと生きていますよう」みたいな事を書いたっけ・・。一般病棟に移ってからは写真のコノ場所がメールコーナーとなった。この真上を東京電力の高圧送電線が通っており大きな電磁波が発生している。携帯電話から発生する一万倍以上の電磁波が乱れ飛んでいるので、病院内の医療機器への影響に関しては対策済みの場所である。

まさにパーフェクトな手術でした・・/

      [・・見事に定着した留置のステント!・・]   写真は「ステント留置手術」が上手くいったかという、術後8日目のケーブエコー(首の検査)の映像。画面中央の四角い破線で囲まれた赤みがかった土管のようなのが今回の手術で施したステントだ(!)・・。去る7月25日のブログに朝鮮人参のような、右内径の動脈の狭窄状況の映像を掲載しましたが・・、首筋の手前の血管のパイが6.4mm、狭窄部分が1.2mm、頭蓋の中の血管が5.2mmだったが、その狭窄部分にチタン製のステント(5.0mm)の留置に成功したのだ。主治医で執刀医の名医であられる森本博士が、「これで向こう15年は脳梗塞の心配はない」と断言なさっていたが、はてさてそんなに長生きしても良いのかなあ~。(爆笑) 医師の15年というのは凡人の世界の30年に相当するんだって・・//

昨日手術後10日目で娑婆に出てまいりました!・・/

  【手術室から→I CUへ→HCUへ→そして一般病棟へ】   昨日の午後に10日ぶりに無事わが家に帰宅しました。入院3日目に施行した『右内頚動脈へのステント留置の手術は、今回も寸分も見逃がすまいとモニタリングを見詰めていたが、当初のうちは極めて順調に進んでいたようだが・・、途中から次第に段々と気が遠くなっていった。手術の後でHCU(集中管理病棟)で教えられたが、「手術途中でかなりの時間「心肺停止」に陥っていたが、主治医が電気ショックの荒々しい蘇生術を駆使して何とか危機を脱した」との事だった。そのせいかHCUでも血圧は異常に低くて上が65で下も65という数値が続いた。術後96時間も経過して血圧100以上になり上記の一般病棟に移された。当初の「入院診療計画書」では4日目に退院の予定でしたが10日間もの長逗留でした。まあ、そんな次第でありまして、三途の川を渡り始めていたが「中洲に引っ掛かって」現世に戻って参りました。どうかこれからも幾久しく宜しくお願い致しますダー。

8/04/2007

謹告「病気療養中につき」暫くの間休業と致します・・・/

       [・・沖縄伊計島のレストハウス・・]   今朝は目覚めたら「全てが青色に見えた」ので吃驚した。たぶん昨日の検査の際に左腕から注射した造影剤の影響かと思う。それにしても最近の検査技師たちはいい加減なものだ。たった一言「今晩遅くか明日の朝あたりに視界が青くなりかも知れません」ぐらいはあってもいいと思う。予め言われたように唇の上とか指の先に軽い痙攣は起きている。まあ、ボクが普通の人に比べてボオーとしているから説明不要と思ったのかもしれない・・。(爆笑) さて、今朝は病院に入る前の 〔^〇¨〕 体力造りとして島から送られてきた「美らメロン&マンゴー」・「チンスコー」・「サーターアンダギー」・ETC 目につく物は片っ端から口に放り込んでいる。呪いの効き目が、チョコ・チョコと効いてくるという『神戸アルテナ』を食べたら出かけるとするか!・・//。

8/03/2007

あ~ぁ、疲れたび~いィー・・・/

            【・・「イユぬ逆さ巴」・・】
  今日は終日「検査・検査」で終っちゃった。横浜の江田という町の病院まで行って、高度な医療機器による精密検査を受けて、そのデータとフイルムを頂戴して戻ってきた。検査そのものの所要時間は2時間そこらだが・・、前後の待ち時間とか交通時間を含めると一日がかりとなる。最後に「会計」というプレートの下で、「本日のお会計は高額でして、合計で十万二千3~~円となりますが・・、(随分と間を置いて) 自己負担金は3万飛んで380円となります」との事だった。ポッケの中には小額紙幣しか入ってなかったが、クレジットカードが使える病院だったので助かった。この4月以降あれこれ1.000.000万以上の医療費がかかっている。この国は歳をとると生存のためのコストが随分と高くなるものだなあ・・・///。

ゆうべは時系列の65年間の夢を見た・・・/

  いよいよ明日は重要な頭部手術の入院の日だ。今回の入院も地元八王子の北原脳神経外科病院だが、主治医から「手術施行の慎重を期す為に、設備がワンランク上の横浜の病院で、血流などのエコー検査を受けて来るように」と指示された。これからステッキを頼りに電車を乗り継いで江田の【横浜新都市脳神経外科病院】へ行かねばならない。何故に手術入院の直前に他所の病院での高度精密検査なのか?・・。(・・「素直に・素直に」・・) 何せ執刀のメスを電子顕微鏡で見ながらのハイテクな手術らしいし、もしも、この手術に失敗したら命は取留めても視力は完全に失うそうだ。患者としての自己努力と生せる人事を全て尽くし切って、後は主治医さんの高度な医術と神仏の御加護を願うしかない・・・///

8/02/2007

写真を撮った時の気温は33度だったッけ・・・/

 現場の外周を一巡しては額の汗を拭いている。細い路地道で近隣さんとお会いしても、「いや~、暑いですねー」が挨拶代わりとなった。今日は天気予報では[曇り]だけどジワ~っとした蒸暑さだ。現場は高さ5m鉄製の仮囲いで囲まれ、空きスペースのほとんどを鉄板で敷き詰めてあるので、外の気温よりも4~5度ほど暑いので堪らない・・。今日は午後から「・・なにもしない時間・・」を作った。セパレートされた自室で一人ポツネンと、唯ジ~ッと時の過ぎるのを待っているのだ。いよいよ明後日は待ちに待った手術のための入院日となった。帰宅したらボストンバックに病室での生活必需品を詰めなきゃ!・・・。///

8/01/2007

トロピカルビーチから撮った慶良間列島に沈む夕陽・・/

     [・・暗い海面と、美しい洛陽と、航空機影・・]   コンベンションセンター近くの堤防でカメラを三脚にセットしていたら、観光客らしい若い女性が、「オジサンはプロのカメラマンですか」と声をかけられた。 〔^〆^〕 「写真に関しては、素人も素人で、ド素人ですよ」と軽くいなしたが・・、人懐っこいタイプの方でかなり会話が弾んだ。先方さんの要望で、フィアンセらしき方との「ツーショットの写真」を何枚か撮り、「間も無くジャンボが飛んでくるので失礼」と・・、堤防の上に駆け上がったら目の前に機影が!。大慌てでズームもかけずにシャッターを押した一枚の作品。

いよいよ本格的な夏本番だ!・・/

    [・・恩納村の万座毛の断崖から名護方面・・]   時々このブログに書き込みをしてくださる、‘かつたか’さんが現在「業務出張」で沖縄に行かれておられる。お仕事柄スーツを身に着けてとの事だが大変だろうと思う。日程では、「昨晩那覇入りして、今日[恩名村での業務]で、明日の午前の飛行機で帰京との事だが・・、不謹慎ながら本土に直進している台風5号が、沖縄寄りに進路を迂回してくれればよいがなと思ったりしています。〔^〆^〕 ボクも現役の頃の『真夏の沖縄出張』は大嫌いだった。ご自分でも沖縄の家庭料理を作られるお方だし、今夜あたりは泡盛のクース(古酒)酌み交わす事だろうな・・///