4/30/2007

東京の自然と、多摩丘陵の緑と、八王子の里山・・・/

  多摩地区公園ガイドマップを下に置き、緑と水のひろば「多摩の里山風景を歩く」旅が、リハビリの名の下に今日から始まった。ぷらりブラリの無理のない歩行です。おにぎりを二個ばかりと、水筒に冷たい「お茶」を詰めて、デジカメと双眼鏡さへ持てば、その日の旅は始まるのです。半盲状態となっちまったので・・、綺麗な写真は撮れないけども、たまには素晴らしいカットも撮れるかも。/

方々に「サンクチュアリ」の区画が・・・/

  静寂を破る僕の足音に吃驚したのか・・・、いきなり「サンクチュアリ」の林から、小鳥がバシッ、バシィーと羽ばたいて行った。昔からの自然が残され、生き物たちの貴重な生活の場として、四ヶ所にサンクチュアリを指定しているようだ。(「やーい小鳥さ~ん、アナタの世界に、足を踏み入れて御免ネ・・」)思わずそう謝りの言葉をかけた。『・・この地形と、湧き水と、動植物のつながりを丸ごと保全し、後世に残していく・・』取り組みが始まったという。

尾根緑道(戦車道路)は木屑が敷き詰められて・・・/

  連休中とあってか人の通りが殆どない。この辺りは第二次世界大戦の末期に戦車の性能テストとか、操縦訓練用として造られた道らしいが、今では人と自然に優しい遊歩道だ。東京都の公園管理事務所によって、敷き詰められた「チップ歩道」(木屑)は、リハビリ中の者にとっては最高だ。まるで絨毯のようで足への衝撃を緩和してくれる。♪ほ~うホケキョ♪♪~、ピーピィーピィーッ♪、チッチッチイ~ッ♪、・・・。まるで小鳥の囀り声で此処は「天国」のようだ。

昔の人は草鞋を履いてこんな道を・・・

  さて、大田切池を越えてダラダラとした坂道を進むと、鮎の道「津久井往還」という案内板がある。この道は大昔の旧街道で、三軒茶から世田谷通りを経て、登戸、鶴川と、この多摩丘陵を抜け、津久井湖に通じる道だとの事。鮎道の名は、津久井で取れた鮎を江戸の街まで、スタコラと売りに行くのに通っていたことに由来するという。今日は初夏の陽気だ。ここまで来ると流石に汗ばむ・・・。

地元・八王子の里山をテクテクと・・・/

  退院の日にリハビリの先生から・・、「リハビリなんて大袈裟な表現じゃなくて、ちょっと里山をピクニックしてみょうかで良いのです」と言われたが、先週は火曜日に出勤し26.000歩、木・金・土と3連チャンの勤務につき都合4日間で、合計75.000歩も歩いた。多摩美大前のバス停から、「小山内裏公園の駐車場を横切って、ど~んと里山散策コースへと登った。まあ、初めての見知らぬコースの場合は、地元の人らしき「オバさん」の後ろを付いていくのが良い。

4/29/2007

お蕎麦は二段盛りとかでして・・・/

  はッハ、コメントを書くのも憚れますのでネ・・・/  山野の「生物」を残酷にも高温で揚げた料理です。

老いたタケーテルの悩み・・・/

  従来は現役の勤労者だったので・・、三食の内の御昼と夕食は、外食なので「自分の欲しいもの」を食べていた。 ところがドッコイ最近は厳しい監視下にある。今日は買い物の帰り道に蕎麦屋に行くことにした。連れ合いが駐車場でモタモタしている間に、さっさと店内に入り込んで威勢のよい掛け声で「カツ丼一丁」と注文した。(・・「その一分後に後悔が待っていた」が・・)
       ☆
  一足遅れで入って来られた管理士さまが、「いつもセーブしたら逆効果もあるから、今日は羽を伸ばして天麩羅のザルにでもしましょうか?」とのこと。一瞬しまったと思ったが、「本当はそれを食べたかったけど、カロリー低めのを注文しちゃったよ」・・・/  果てさて・・、オーダーから15分後に運ばれて来たのは写真の御料理。奥方様は1500円以上の豪華な山菜天麩羅蕎麦だった。

4/28/2007

地上80メートルの操縦席で・・・/

  作業服の回収のため3時の一服休憩時に、地上80メートルのオペレーター室へと上がった。途端に暗雲が立ち込めてドカーン~ドカーンと落雷が・・・。/ 現場の四方八方が真っ暗となったが、非常用のライトで作業員が緊急避難するのが見えた。こういう場合はジタバタしても仕様がない。無線で現場事務所へ・・「これよりオペ室で3時の休憩に入る。突風による飛散対策に万全を期すように」・・と伝えて昼寝をした。
 
    

4/27/2007

間も無く5月だ、連休だ!鯉幟だ!・・/

  このゴールデンウィークの休日を、通しで4月28日(土)~5月6日までの9日間とするか、暦どおりの6日とするのかで揉めに揉めた。結局ボクの・・「日本人ちゅうもんはなあ・・、暦どおりに動けば大きくは揉めないものだ」・・の一言で決まった。近隣住民さんの意見も重要だけど・・、現場で働いている職人さんは、今でも「日給月給制」なので彼らの月収の事も考えてやらんとなあ・・。

4/26/2007

車の免許証はじめ全てのライセンスを返上す・・・/

  今日、自動車の運転免許証を始め「建設重機などの操縦ライセンス」等の全てを返上した。これまで安全管理には口煩く携わってきたので、運転や操縦に自信を失ったので範を示したのだ。50を過ぎてから現場で操縦した事もないので、別に取り立てて惜しいとも思わなかったが・・、持っていれば使いたくなるのがライセンスだ。

4/25/2007

新宿の駅を活動の拠点に・・・/

  長い生活慣習なのかAM5:00時には目が覚める。当分の間は[月・水・金]を歩行リハビリに当てる事となったが、今朝は生憎の春雨で終日ずっと愚図つくようだ。里山のリハビリコースだと滑ったり転んだりとなる・・。  果てさてどうしたもんかと思い悩んでいたら孫からの電話。「爺は根っからのシティーボーイだろう。こういう日は新宿の地下街を歩くと良い」との事。(グッドアイディア・発想の転換だ~)
   ☆   ☆   ☆
  「携帯電話」と「ノートPC」さへあれば万事OKだ。西口のデパートの喫茶室あたりに陣取れば、緊急なスポットのビジネスにも即応できる。重たい資料の入ったショルダーバック等は、コインロッカーに預け入れて自由自在に動ける。大雨が降ったって地下道を歩めば濡れない。都庁まで往復すれば30分はかかるし、都内の主要なビルや繁華街へと移動するのも便利だ。孫ッ子に何か素敵なプレゼントを差し上げなきゃねッ~。

4/24/2007

今日は優先席とやらに座ってみた・・・/

  今週は[火・木・土]が勤務日となった。当分は病気療養中という特例措置で、4~5~6の三ヶ月間は、午前10時から午後2時までの実務でよいそうだ。朝夕の通勤ラッシュを外してくれたので、車内は空いているし気楽な勤めとなった。今のところ未だ不安定な歩行なので、人様の邪魔にならないよう気をつけなきゃ!・・・/

4/23/2007

脳神経のリハビリを完了して・・・/

  発症直後の急性期から始めた院内での・・「早期リハビリ」・・も、今日のプログラム消化で「回復」の認定を得て完了となった。3っつのジャンルのペーパーテストがあり、其の1が100点、其の2が100点、其の3が88点で、総合点数が288点だった。理学療養士の先生から、「あなた程ガムシャラにリハビリに励んだ人は初めてだ。今日で院内での回復訓練は終了です」との嬉しいお告げが・・・/
    ☆   ☆   ☆
  昔は脳卒中・脳梗塞などで倒れると、医師や周りから安静を命じられ、どの患者さんもベットもしくは車椅子でジッとしてたそうな・・。そういうふうに安静を続けていると、逆に麻痺した筋肉(首・手・足)が縮まったり、関節も固まったりして、麻痺が悪化してしまうそうだ。そうすると大脳の運動機能を司る部分も萎縮してしまい、回復の可能性が低くなってしまうとの事である。よくぞ頑張ったものだと自分を褒めた!。

4/22/2007

順調に機能回復しています・・・/

さて、今日は統一地方選挙の後半戦。/八王子でも市議選の投票日だった。一昨日の事だが今回5期目の女性候補から電話があり、「入院中もお見舞いに行けず、大変図々しいお願いだが、苦戦をしているので何とか・・」という支援要請があった。この女性議員は悪さもしないし、市民の政治付託に真面目に対応するので、今回も絶対に(V)当選させようと、重い足取りはであったが投票に行った。
     ☆   ☆   ☆
 今日の歩行リハビリの目標は6㌔メートル也・・。/ 午前中に3㌔は消化をしたので、これから後3~4㌔歩かなきゃ!…。明日は病院内での頭脳のリハビリだ。眼が極めて不自由だというのに、パズルの難しい問題ばかりを出す。まあ、無駄な抵抗は止めて気長に付き合おう。今朝、この地域の防災公園で新規参入、60歳未満のゲートボールの練習を風景を見た。ハハッ、みんな健常者なんだろうけども・・、小山のような体重が災いして、ボールが四方八方への乱れ飛びだった。    

4/21/2007

泡盛クースの最高峰は「おもろ」なり・・・/

  SATE、今から15年ほど前に「瑞泉」の佐久本政頓社長から、「これが泡盛のナポレオンです」と戴いたのが、この「おもろ」という15年物のクース(古酒)でした。そのストレートを「グイ呑み」で静に呷って眼を閉じると・・、あの今は懐かしき「守禮之門」が浮かび・・、朱色の首里城が現れ・・、サンシンの音が流れ漂いて・・、島人ぬカチャシーの踊りが舞い動く。呑めば天水の柔かさで喉をとおり、瞬時にして「火の酒」が全身を熱す。されども、礼に始まり礼にて辞儀するが、島んちゅぬ酒座の礼儀なり。

退院後の初ての診察に緊張・・・/

  今日は退院後10日目の再診の日だった。ひょっとするとそのまま再入院かもという、一抹の緊張感みたいなものがあったけど・・、退院後のリハビリの経過が極めて良好という事で、手術の予定日を二ヶ月先の6月13~14日と決めた。執刀医もツゥーランク上の副院長先生となった。日本の医学会だけじゃなくて、ベルギーとかのヨーロッパでも有名な先生のようだ。
    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆
 一見して40代後半の若い Dr・Mから>「退院後のリハビリの数量は、どれぐらい消化してますか?」・・・。と問われて、「主治医からもらった実施予定量の2~3倍はこなしています。今週から週に2日~3日ていどの予定で仕事に戻りました」と恐る恐る報告をしたら・・・、Dr・「実に理想的な患者さんだ!。きつかったでしょうが素晴らしい事です」と、逆にお褒めの言葉を戴いた。又してキツネとタヌキの化かし合いが始まった。  

4/20/2007

心配した島の親友からゴーヤーが・・・/

  今日は週3日に減らした出勤日だった。朝10時頃にゆっくり現場にINした。日に7~8回の外周回りも2回に減らした。顔を合わせた近隣の方々から、「あんがい軽く済んで良かったね」とか「煩い野郎の責めで倒れたのだろう」とか「ストレスの溜まる仕事だ。くじけちゃダメだよ~」等など、いろんな激励のお声があった。明日は退院後10日目の検査だ。再入院はしたくないので今夜は摂生しょう!。

4/19/2007

東京の西の果て八王子とは・・・P-4/

  この数日間の〔大きな雨〕・〔中位の雨〕・〔小さな雨〕で、満々と水を抱いた貯水の池。その水面に幾本もの木の幹が・・・。 一体ぜんたい何と言う樹木なんだろうか。湿原、澤地、沼地などに、水棲木の高木で「ハンノキ」というのがあるとは聞き及んではいるが・・、これがその幻の「ハンノキ」なのであろうか?・・/ これからは週に3日働いて、後の四日は自然と戯れる事にしよう!。長生きをしようという高望みはしないけども、せめて現世に生きてた人間らしき寿命を遂げて見ように・・・/

東京の西の果て八王子とは・・・P-3/

  国字の「木・林・森・山」・・・。一本の木が、点から線へ、線から面へ、と広がって自然は大きな山を形成していると思う。さて、あの滾々と湧き出でたる清らかな水が、この細い小川を伝って「何処・何処」へと流れ行くのか・・・。ビッコを引き摺りながら半眼で歩み続ける。オ~っ、オ~ッ、お~っ!。その下流・下部には「湿原」があり、澤が広がり、沼地となって、その先に大きな湖沼があった・・。/

東京の西の果て八王子とは・・・P-2/

  あの山手線で東京をグルリと一周すると約1時間・・。その「広大な円」の内側の面積に匹敵するのが八王子市の領域らしい。そのシティーに30年以上も住んでいながら、自分の住んでいる町のほんの一角しか知らない。これから生涯お世話になるであろう杖を頼りにして、細い肩に古ボケたデジカメを引っ提げての、プラリぷらりの山野への散策紀行の記し。この、ちょっと小高い森から滾々と湧き出でる水の流れ・・。今を時めく若者の街・・「南大沢」・・の源流は此処にあり。

東京の西の果て八王子とは・・・P-1/

  10時過ぎにコンビニで宅配便を発送をして・・、今日のリハビリ=「歩行訓練」が始まった。いつもの城址公園から尾根伝いに南へ南へと進む。起伏の乱れの激しい御殿峠を通り越し、『絹の古道』を経て鑓水の地に歩を進めると・・、辺りの情景がパーッと浅黄色へと変わった。ココへは下界の選挙の街宣車の喧騒も無い。おむすびを無心に頬張りながら、両手で掬った湧き水の何とも美味しかった事よ。

4/18/2007

な、何んだ!こりゃッ、、、、、???・・・/

          満開の櫻の幹の黒さかな  常盤 優     

クース泡盛と、パイプ煙草と、呼び鈴の女の娘・・・/

  断固として「禁煙」をし、緩やかに「節酒」をす。そう決意をしたのに、島の〔悪友・悪女〕どもから、「これを、飲んで、早ようくたばってよ」と・・、次から次へと宅配便が届く。ははッ、以前みたいにプカプカ・ガブガブと、暴飲暴食をすると思っているんだろうが!?・・・。そうはどっこい・・・、ちゃ~んと、お裾分けする先々を決めてま~す。唐・唐~のイユ(魚)の絵柄が、実に躍動的で綺麗だねー。 

自然の営みは緩やかなれども着実に進化を・・・/

    リハビリのスロークイック花は葉に   俳人 ・ 常盤 優  本当に…、花の命とは短いものですね…。瞬時にして生命の承継なんだ。でも、黒くて太い幹を大事に育めば、又、来年の春には美しい花を咲かせるんだよね。人間も大きな病は医療でしか治せないが、五体の機能は「生物の再生力」で回復するのだ。懸命に努力をすれば神様が「自然治癒」の手助けをしてくださる。私の最も尊敬する「生物学」の先生はそう教えてくださいました。

4/17/2007

明日は都心まで足をのばすか・・・/


[新しい巣箱]
誰が付けたか真新しい巣箱が・・・/
〔・・・ラーク・・・〕
〔・・・ケント・・・〕 
〔・・・ラクダ・・・〕
  脳梗塞で倒れて、頭蓋骨の[S・S断面]の解析図を見た途端に、約50年間モクモクと吸い続けてきた煙草が消えた・・・/  もう断煙してから3週間目に入ったので、こんご二度と口にする事はあるまい。しかし、今でも長い習性というか悪癖と申すのか、食後とか本の頁を捲った後に上着のポッケに手が伸びる。 その度に、「あっ、そうか、煙草は止めたんだ」と独り言。
             ★
     【今、携帯に入った一本の電話】 
  先方=「明日、1病院へお見舞いに行きたい」
  我輩=「退院をしたので、見舞いは無用だよ」
 先方=「新たなP/Jが、スタートするのだが・・」  
  我輩=「週2程度なら/ 来月から動けるかも」
 いつも、斯く斯く云々の会話で始まるのだが・・、/ 仕事というものはそう甘いものではないのだ。             

スロー、クイック、クイック、スロー・・・/

家族の同伴者の付き添いのお陰で・・、一昨日から2~3㌔コースの歩行訓練。左の視界が霞むので坂道を下る時は苦労する。大地を踏み締めるかのように「一歩、二歩、三歩」と進む。この急勾配の小径を下り切ると、小さな湿原があり水車小屋がある。同病人であろうか車椅子の方が「ほーい頑張れよ~」と手を振ってくれた。返す言葉が見つからず深々と会釈をする・・/  

4/16/2007

ひとしずく 頬に涙の さくらばな でした。

    垂糸海棠(はなかいどう)母の爪切る日曜日   常盤 優 ※素晴らしき、在りし日の「親孝行の一句」ですね!…。僕は闘争に明け暮れた「貧者の青春」でしたので、「“親孝行 しようと思えば 親は無し”」でした。逝く間際に・・・、「たけし、頼むから、杯にほんの一杯でいいから、泡盛を注いで・・」とせがまれて・・、医師や家族の反対を押し切って、大きなタンブラーに「古酒」を並々と注いで、お別れの儀式にしました。島には今日も、南風が暖かく吹いているのだろうね・・・。

 

4/15/2007

TOPPOさん、綺麗な写真を有り難う!・・・/

 花冷えや けふのいのちを いとほしむ  詠人・常盤 優
TOPPOさん、いつも励ましのお言葉有り難う!。お陰様で半盲になった眼の視界が広がりました。

煙草とは・「百害あって一利なし」也


【・・「煙草の自販機」・・】
×
×
×
 さて、今回の入院申請書の同意書の項目に・・、「今後一切煙草を喫煙いたしません」というのがあり、其処に自署での「サイン」を求められた。僕は人後に落ちないヘビースモーカーである。あらゆる[思考・思索・戦術・戦略]が、紫煙の中から生まれてきたし、珈琲ブレイクもスモーキング無しでは考えられない。もう50年近くも毎日5~60本吸い続けている嗜好品だ。しかも、嫌米思想に立脚して、ケントだのラークだの冥土・イン・アメリカを煙に巻いているのだ。そう簡単にギブアップして堪るか!。
           ☆    ☆
 冷徹な眼に涼しげな表情を浮かべて、署名押印を求める医師に向かって、「守れない約束は絶対にしない」「サインなど断固として拒否する」「サインすればウソつく事になる」「沖縄インディアン嘘つかない」等々勝ち目の無いイクサを仕掛けた。結局、その欄は主治医が大きなバッテンをつけて、緊急入院と相成ったのだが・・、MRIの頭蓋骨を輪切りにした「解析画像」を見て、煙草は二度と口にすまいと自分の胸に誓った。毎日のリハビリの歩行訓練で、自販機の前を通過しても・・、全く無視してるから不思議なものだ。

時系列の「闘病日誌」・・・/


【・・「闘病日誌」・・】
 入院初日の3日の日は・・、「遺書」のつもりで書き記したのだが、危機を脱してからは『闘病日記』となった。部屋付きの看護婦さんが、「目は殆ど見えないはずなのに、よくもマメに書きますこと」と感心してた。凡例【4月9日】 ①.AM6:30分 起床。点滴3A開始/血圧131-106/血糖値86/・・・②.7:30分 朝食〔鶏肉の五目煮、味噌汁、ご飯、ヨーグルト、バナナ〕・・・ ③.8:00分 服薬(バイアスピリン100mg 胃腸薬1錠) ④.9:00分 回診・主治医DR星野「主として手足のシビレの確認」・・・⑤.10:00分 4Fリハビリ室へ。PM12:00昼食/・・・。PM13:00 ※CT検査〔造影剤〕・・・/~~~~ [・・就寝時まで延々と続く・・]
      ☆    ★    ☆
 一日三食の食事内容をトータルすると1400㌍だ。これが退院後の「食事療法」メニュー作りに大いに役立っているのである。マキシムで1600㌍まではよいそうだ。見目麗しき管理栄養士さんにウインクして、(+)プラス(+)麦酒750mリッターまでOKをとった。それを越す場合の注意点として、急激な血糖値の上昇を抑制する薬も処方してもらった。簡略して申しますと・・・、嬉しい事や御目出度い事があった場合は、「健常者と同じように飲食しても良い」という事です。年増で超美人の看護婦さんが「したたかな交渉人」です事と短い舌を巻いていた。 別名は「タフ・ネゴシエーター」だったっけなぁー。
 

4/14/2007

なんと禁煙命令で、2㌔も太っちゃった・・・。/


【・・「ヨモギの新芽だ」・・】
       ☆
[野原、道端、屋敷の周りでとれる薬草・野草]
       草
       々  
       草
       々
 病院内での歩行訓練と違って、自宅付近での歩行練習は・・、人目も何となく気になるし、交差点の横断歩道では車が怖い。使い慣れないステッキを頼りにして、よっこらよっこら道を渡っていたら、パー、パー、パーとクラクションを鳴らされた。とても悔しかったけども・・、ゆっくりとマイペースで進んだ。顔見知りのオバさんだったが、先週の頭までの僕は健常者だったので、横断道で「そぞろ歩き」でもしていると思ったかなあ・・・/
      ☆
  自宅から徒歩10分ほどの所に、都営住宅の建設予定地がある。広大な遊休地で地域に開放されていて、保育園児の遊びの場になっている。今日から其処をリハビリの場に選んだ。一通り汗をかいた後の楽しみは、ヨモギの瑞々しい新芽を摘むことだ。今夜はこれで「フーチバァー・ジューシィー」(蓬雑炊)が作れる。大量の服薬で胃が荒れている。ヨモギは薬草の一種でしてネ・・、特に胃腸の病に薬効があるという。5~6枚残して明朝の味噌汁にも浮かべよう・・・。

大好きな珈琲と、不似合いなパン・・・/

  今回の入院騒ぎで・・、身内の看病の一番の功労者は孫ッ子だと思う。一日も欠かさず通い詰めてくれた。病院の食事では足らないだろうと、着替えの袋の中に「クロネ」を忍ばせてくれたり、ドクターストップで吸えなくなった『煙草』の替りに、各種キャンディーを買ってきたり、何よりも嬉しかったのは宅配の新聞の差し入れだった。病人が何を欲しているかを良く承知している子だ。
     ☆   ☆   ☆
  【入院三日目】
龍之介くん・「爺ちゃんサー、 もう大好きな煙草吸えなくなったんだね・・」
爺ちゃん ・「そ~だねぇ・・。 今度吸ったら大きな発作が起こるらしいよ」
龍之介くん・「その次に大好きな『珈琲』ってサー飲んでいいのかなぁ ・・」
爺ちゃん ・「今朝、先生に聞いたら 利尿作用があるので飲むべしとか」
龍之介くん・「あのサー、 1階の待合室の奥にカフェテリアがあるんだよ」
         ☆   ☆
  僕の生存に欠かせない三大毒素が、【①.煙草 ②.珈琲 ③.酒類】である。①は仕方が無いと諦めるとして、これから当分は②と③が残っているのだ。孫から得た貴重な情報によって、その素敵なカフェテリアには、食後の度に日に三回も通った。其処で中学2年生の車椅子の少年と友達に・・。「親が共働きで、毎日ハンバーガーばっか食べていたらこうなったよ。でも、脳溢血になったのは親の責任じゃない」と明るい表情で語る子だ。「リハビリでうんと頑張って、一年以内に自力で歩けるようになる事。それが当面の目標です」言っていたが、今日も病院で頑張っているだろうか・・・。

急性期リハビリの実施

【発症2日目から急性期リハビリ開始】    








  発症2日目に大部屋に移された時に、先ず、看護婦さんから「手足にシビレはありませんか」と尋ねられた。「両手を前に出して、掌を広げて、親指から順次曲げて、次に小指から広げて・・」と何度か繰り返す。両足が正常に動くかどうかも確かめられた。次に・・、「リハビリを受ける意志があるか否か」を質された。頭の中で・・、「これは手足が麻痺するのかも知れない」という恐怖感が漂った。その日から「一日3時間」の申込みを行った。
      ☆   ☆
 僕の場合は既に半盲状態になっている。上記写真のペーパーの文字も、頁の右上から左下に斜めのライン上の部分が、全く視野に入ってこない状態である。絵文字の中から同じ絵を見付けて「〇」をつけなさいと、指示をされても見えないから仕方ない。リハビリ担当医師や理学療法士が何を求めているかが見えて来た。僕の症例に見合ったプログラム作りなのだ。その瞬間から闘病への楽しいチャレンジが始まった。4Fのリハビリ室のパソコンで、ブログ「昼間の行灯」を開いた。先生が「何方のブログなのかなあ?・・、あららッとっても素敵だわ!」と叫んだのだが、自分のブログだとは言えなかった。  

4/13/2007

時の流れに素直になって・・・/


【「全てをバーコードで一元管理」】
  入院手続きが完了すると…、左手にバーコードが嵌められた。口の悪い僕は、「何だこりゃ、俺は商品か!」と、看護婦さんをなじった。しかし、後々になってこれは便利なシステムだと感心した。例えば点滴を打つ場合は、パソコンの端末の読み取り器で、リンゲルボトルをピピピ、患者の腕をピィピィピィ、看護婦のネームプレートをピピピ。そうするだけで、極めて正確に計算書が出来上がるのだ。お三度の食事の際も毎回ピピピ、各種検査を受ける場合もピピピ。
  ☆[已む無く髪を切る]☆
  今日は午前中に美容院へ行った。大先生に「実は、只今、入院中でして、外泊許可で、出て来たのですが、手術の邪魔になりますので、髪を『丸坊主』にしてください」とお願いをした。順番で割り当てられた若い美容師さんが・・、「大先生が、手術の当日に、病院へ行って、剃り上げるそうですので、本日は私メが『慎太郎刈り』に致します」と刈り上げてくれた。これで50年間続いた「南海の美少年」のヘヤスタイルともお別れとなった。スーっと流れ落ちる一雫の涙を、誰気づかれる事なくそっと拭いた。
 

孫ッ子の差し入れに感謝感激・・・/


【・・「院内でのお食事」・・】
集中治療室では点滴のみで食事は無く、二日目から4人部屋に移されたが、他の三人の方よりも食事がとても質素だった。その理由を看護婦さんに質したら、「アナタさまは糖尿病食なんです」とキッと睨まれた。管理栄養士の指示で、一日1400カロリーで抑えてあるとの事だった。この昼食は器が4つ程あって豪華に見えるが・・、関西風薄味の「冷やし饂飩」である。これじゃ爺ちゃんの身体がもたないと、毎日欠かさず見舞いに通ってくれた孫ッ子が、密かにクロネとかの菓子パンの差し入れをしてくれた。バイパスっていざという時にとっても大事なんです。(爆笑)

歩きながら考える習性・・・/


【「・・院内の長い廊下・・」】
 なんの前触れもなく突然やってくる「脳梗塞」という病気は、発症から一週間は「急性期」といって非常に大事な時期だという。今回の場合は既に路上での歩行中に発症をしていたが、約4時間ほど事務所の長ソファーに横たわって安静を保ったり、大きな病院で脳血管撮影を行い梗塞の部位を逸早く確認し、専門医と専任看護婦の完璧な管理下で、万全な医療処置を取ってもらう事が出来てラッキーだった。
   ☆   ☆   ☆
 入院と同時に主治医から、車椅子の使用を命じられたが断った。足腰の筋力の低下は、社会復帰後の自分の仕事に支障を来たす。下半身とか左手足のマヒを一番恐れた。病院関係者に何度も注意を施されたが・・、左手にステッキを持って院内の廊下を歩き続けた。夜中の2~3時に懸命に歩行訓練をしている僕に、夜間当直の看護婦さん達が左手で「V」サインを贈ってくれた。5日目あたりから万歩計が5000歩を記すようになった。

4/12/2007

病名は・・『脳梗塞』・・(後頭葉)でした・・・/

 4月3日朝の出勤途上で、路上にて急に左目が見えなくなり、午後から職場を早退して眼科医院へ。
眼科医に「これは目の調子が悪いのではなくて、脳梗塞から来ている半盲状態です。措置が遅れたら半身不随となります。大至急『〇〇脳神経外科病院』へ搬送します」と告げられて仰天。何が何だか分からない儘に、大きな専門病院でMRI検査を受ける。
       ★   ★   ★
 主治医「・・・既に今朝の脳梗塞で左半盲状態となり、右の後頭葉の脳細胞が死滅しています。それに関しては保存的治療しかないが、もっと怖いのがこのMRIの解析画像によって偶然発見された『左内頚動脈高度狭窄』なのです」との指摘。 要は、今朝の脳梗塞で左目の視力を失ったが、左の首の頚動脈が極端に狭まっていて、これが詰まると全盲となり右の手足が麻痺しますという事なのである。
       ★   ☆   ★
 この10日間で点滴を40本打たれ、24時間心電図検査を受け、繰り返し各種のCT検査を行い、次の大きな手術に備えたのだが、昨日の検査で「心臓の弁膜に異常あり」の結果が出た。それらの検査と同時平行でリハビリにも挑戦す。発症以来3~4日は新聞を読もうとした場合、紙面の左斜め半分が完全に見えなくなっていたが、5日目辺りからボヤケてはいるものの見え始めてきた。検査も一通り済んだので「外泊願い」を出したら、来週の土曜日までの一時退院が認められた。   【(以後次回へ)】
 

4/06/2007

留守にいたします

ちょっと長い(1週間程度)出張でブログを更新できませんが、戻りましたら又よろしくお願いいたします。

4/03/2007

やったぞ!静岡・常葉菊川高校 初優勝!・・・/

 ♪遂に「常葉菊川高校」が優勝しましたね!♪♪~~。
    懸命に応援なさった焼津のDORAさん!、横浜のTOPPOさん!。
            おめでとうございます!。心からお祝い申し上げます。

一抹の不安が脳裏に走る・・・/

[庭に咲いた西洋オダマキ]







 今朝、駅から職場に向かっている最中に・・、急に左目が見えなくなった。右の眼も霞み始めて世の中がボヤケた感じだ・・・。このところ仕事がハードだったので、極端な疲れ目なのかもしれない。先月の眼科医院での検査では「特に異常無し」だったけど、今日の書き込みはこれにて終了です。

4/02/2007

テープ起こしは疲れますなあ・・・/


今日の昼食[アルボナーラ] 
 日本銀行券で980円也
※「この代金も彼等に払わそう」
 先週、オブザーバーで、ある工事説明会に出席をした。
ニューヨークの「ブルーマングループ」招いて、約一年間東京公演を行う為の、仮設劇場を建築する工事の説明会だった。説明会そのものは、地域住民の方々のご理解で、極めて成功裏に終了をしたのだが、肝心要の「説明会の記録」が、テープレコーダーの不備で取れてなかったとの事。(その表情は・・、塩をかけられたキャベツのようだった)
    ☆  ☆  ☆
 主催者の記録係りの方から、「何とかならないか」と相談を受けた。「う~~ん、それは極めて難題ですなあ~」と、一応は散々脅かしてから、「その議事録を作って差し上げましょう」と引き受けた。実は当日会場で密かにICボイスレコーダーで収録していた。今朝から『在宅勤務』扱いで、24頁の詳細な議事録を完成をさせた。今先、それをメールで送信して、「お礼はチケット20枚ぐらいでいいよ」と申し添えた。

う~ん、4月で真夏日とは・・・/


◎デイゴの花◎(沖縄の県花)
 台風銀座とも言われる沖縄で、街路樹の高木といへば椰子の木と、このデイゴです。五月にもなると深紅の艶やかな花を咲かせる。
  昨日は地球温暖化が叫ばれる中で、静岡県では早くも31.8℃の真夏日だったそうだが、沖縄からの便りだと「早くもデイゴが狂い咲きをした」という。「まあ、そんなに嘆かずに、せっかく咲いたのだから、ちゃんと眺めて、琉歌で詠みなよ」とは言ったものの・・、美しい花の命は短いもので、東京の櫻の花も散り始めた。自宅の花壇のクローバーが大きな蕾を持ったし、早くも色とりどりのチューリップが咲き始めた。
 

4/01/2007

髙楽寺の境内を訪ねて・・・/

【「髙楽寺の枝垂れ櫻」】(別名 櫻姫・樹齢200年)
 ☆   ☆   ☆   ☆
 地元・八王子の櫻の名所は何処ぞと、パソコンで検索をして見たら、狭山町の高楽寺の姫櫻との出会いとなった。この櫻は紅枝垂れと申しまして、樹齢約200年、幹の太さ2m、高さ15メートル、枝の周囲は40mもあるという。昨晩の猛烈な春三番の風雨で、最高の見頃を逸してしまったが、昨日までは精一杯艶やかな姿を披露していたそうだ。墓地へと向かう小路の斜面には、片栗の花が可憐な花を咲かせ、五百年の古刹の寺の風格を醸していた。
 

次は「沖縄戦」も消そうとするだろなあ・・・/

(>_<)


   【あれは軍命だった」座間味・戦争体験者ら怒り】     

   [沖縄タイムス(3月31日の記事より)] 
 沖縄戦時下、日本軍の軍命と誘導による「集団自決」で百七十七人が亡くなった座間味村では、軍の関与を削除した検定に怒りの声が上がった。
 

 日本軍と米軍の攻撃の中に取り残された中村一男さん(73)の家族は、日本軍に配られた手りゅう弾で「集団自決」を決行しかけた。「日本軍は各家庭に、軍が厳重に保管していた手りゅう弾をあらかじめ渡し、米軍の捕虜になるぐらいなら死になさいと話していた」とし、軍命否定は「歴史を歪曲することだ。私たちが戦争体験を語るのは事実を伝え、むごい戦争を二度と起こさないため。(国は)事実は事実として後世に伝えてもらいたい」と語った。」

 文部科学省が教科書検定で『“沖縄の集団自決『軍強制』を修正”』をした問題で、沖縄のあらゆる階層から避難の声が髣髴と沸き起こった。まさに「静かなる民」が怒り心頭に達した感だ。島には大昔から「命ど宝」(ぬちどぅたから)という生命感がある。神から授かった命を寿命が尽きるまで大事にしましょうという精神である。白昼の肉弾戦のイクサに突入した極限状態の中で、鬼畜の恥辱に曝されまいと、軍命で予め軍から手渡された手榴弾で、あの凄惨な集団自決が起こったのである。あの悲惨な戦争を二度と起こしてはならなと、教育現場で児童生徒に教える事について、日本政府は何の不都合があるのでしょうか。次の段階ではあの『沖縄での地上戦』の記述まで改竄するお積りですか!。