昼間の行灯
7/31/2007
7/30/2007
自公政権・参院選で歴史的な大惨敗!・・/
[・・安部政権に「NO」の鉄槌を下したのに何で居座るの?・・] 午後の8時を待って[選挙速報]のテレビのスイッチを入れたら、【与党44~45対野党71~73】 という予測数字が突如として画面に躍り出た!。これだから国政選挙はドラマチックで面白いのだ。開票が進むにつれて民主党の候補者にどんどんと、「赤い薔薇」がつき、自民党の選対本部は「お通夜」か「お葬式」のようだった。沖縄へ電話をいれたら「沖縄社会大衆党(地場政党)の糸数候補の圧勝」との事だった。それにしても、『小沢一郎』という政治家は大した政治家だこと・・・。党の内外からいろんな非難中傷を受けながらも、ずっと一人区を中心に地方の隅々まで行脚をして、自民党の牙城といわれていた農漁村までヒックリ返してしまった。一度は日本の総理大臣に是非なってもらい人だ。今は、イクサで疲れ切った身体をゆっくりと休めてくださいな・・・//
7/29/2007
7/28/2007
いよいよ沖縄も夏本番のようですね・・/
[・・堅固な城壁と碧い空と白い雲・・] 2~3年前にニュース23で筑紫哲也さんが、「今、夏の日本列島で一番涼しいのが沖縄です」と涼しげな顔で話していたが、実に当を得て妙な表現だな~と思った。照り付ける太陽の紫外線は強烈だけど、一歩木陰や部屋内に入れば「涼」としているのである。彼が新聞社の特派員として沖縄に滞在していた頃、よく波の上の「夕顔」という小料理屋で飲んだもんだ。彼の口癖は「愚問かもしりませんが〇〇さん、なんでこの島ラッキョウはこんなに美味しいですかね」だった。彼が広めてくれたのか、今や、島ラッキョーは全国的にポピュラーな浅漬けとなった。10km毎にオーバーヒートする僕のオンボロなシボレーで、よく東西の海岸線をドライブしたもんだ・・。
綿密に組まれた石工の匠の技・・・/
[・・中村家の石垣(沖縄県中城村・・)] さて、今日は週末の仕事日で終日忙しくなりそうだ。体調もかなり回復はしたが無理は慎もう・・。梅雨明けの前触れなのかカナリ暑くなりそう。天然水の小さなボトルとフェイスタオル・・/それと街頭で政治家に会いそうだからカメラも持つか!。選挙中だから立場が逆転をして人並みに扱われる。休日ダイヤだから電車も空いていることだろう。【この後は職場で記載】 久々に現場の作業開始の前に I N した。メインゲートの警備員が吃驚して、「朝から何か大きな問題の発生ですか」と声をかけられた。〔^〆^〕 このところずっと「重役出勤」なので仕様がないか・・。今日は現場の外周(約1000m)を午前中に2回午後から2回まわることにしよう。怒られようが悪態をつかれようが其れがボクの役割であり仕事なのだ。・・・///
7/27/2007
沖縄の家庭料理あれこれ・・/
[・・シブイ(冬瓜)の御汁・・]
昨日は丸一日「・・高 熱・・」でうなされていた。高い熱なのに汗が殆ど出ない状態はきつい。喉が赤く腫れていて固形物の食事が摂れない。スタミナ源はアイスクリームとか飲むヨーグルトだけの状態。これじゃクンチ(根気)がつかないとばかり、スーパーマーケットに出かけて、今の時期ポピュラーな[冬瓜と豚肉と豆腐]とキュウリにモズクを買い込んだ。沖縄では冬瓜は夏場の野菜が少なくなる時期に出回り、長期保存(高床の床下などで)がきくので昔から重宝されてきた。その汁物の作りかたはいたってシンプルだ。カツオ節でとった出し汁でコトコトと15~20分ほど焚いて、途中で豚肉と木綿豆腐の具を入れて煮立ったらOKだ。冬瓜そのものは90%以上が水分で無味淡白なのだが・・、煮物や汁物などに入れると別の素材の味が沁み込んでとても美味しい。夏場に温かいスープが苦手な方は冷やして食べてもよし!。今回みたいに作り過ぎて余った場合などは、汁を捨てて冷蔵庫に保存をしておくと、翌日の朝食の「煮物」としての一品にもなる。(はは) 島コ-レーグス(唐辛子の姿身をお酒で漬けた物)を4滴垂らしたら・・、死な死ナーするほどにホット!ホット!だったさあ~~。
7/26/2007
7/25/2007
これも今日の画像なのである・・・/
[・・ボクが煙草を止めた理由・・] さて、右が健常者のごく普通の脳の画像で・・、左が、今年4月に脳梗塞を起こした僕の頭の映像。一見、黄色や赤で色鮮やかなカラーだが、赤と濃い黄色は脳梗塞を起こして血液が飛び散り、脳の中へ酸素送り込めなくなって死滅した「脳細胞」の画像なのである。医者に「煙草が脳梗塞の直接の原因ではないが、過去の臨床的なデータからすると、少なくとも遠因か起爆的な要因にはなっている」との説明を受け、それまで45年の間「一日70~85本」も吸っていた煙草を止めた。沖縄で事情を知らない友人が、「これ君へのプレゼントだ」とダイイヒルを2ボール持ってきたが、もう二度とスモークすることはないかと思う!・・・///
人事を尽くして天命を待つ心境・・・/
[・・これが今日の検査での内頚動脈狭窄の現況・・] 今日は午前11時から延々5時間も検査をした。①.血液検査 ②.心電図検査 ③.胸部レントゲン検査 ④.CTスキャナでの頭部の現状と[内頚動脈の狭窄の現況写真]の撮影だった。①~③の検査は従前も随分やったが、④の検査段階に入ると流石に不安感も高まり緊張した。検査が一通り終って診察室の前での待機の時間が一番辛い。主治医のDrから上記の画像をPCで見せられて、「右側の6.4mmが首筋の血管の太さです。その上の1.2というのが狭窄を熾している血管の太さです。その上の5.2というのが頭部の血管の通常の太さという事になります。さて、このアナタ様みたいな[1.2mm]というボトルネックの血管が今後2ヵ年以内に梗塞を起こす確立は、このケースの患者の場合ですと20%です」という事だった。これらの主治医の説明を受けて、更に手術を施工する場合のデメリットの説明を受け、最後に手術の「承諾書」の用紙を受け取った。ボクの場合は既に今年の4月段階で右内頚の脳梗塞を起こしているので、もう一方が梗塞を起こしてしまうと致命的な打撃となる。主治医の先生に対して「私は先生に全幅の信頼を置いています。後は高度医療技術の人事を尽くして頂いて、天命を静に待つのみですので宜しくお願いを致しますと申し上げた。今回のこの大きな手術が成功すると向こう10年以上は大丈夫らしい。
あの日も空は蒼かった・・/
[・・「遠方からの旅人よ、疲れたら、ゆっくりと休みなよ」・・] 余りの暑さに白帆の影でウッチンター(うな垂れ)していたら・・、次男坊夫婦が駆け寄ってきて「親爺どうしたんだ?・・、気分でも悪いのか」と声を掛けてくれた。お気に入りのパナパ帽が素敵だと褒めてもくれた。独り言で、「対岸の山のそのまた彼方にムトビレーが住んでいたのだが」と呟いたら・・、「ああ、オヤジが『南海の美少年』といわれていた頃のことネ・・」と、こっちの次の台詞まで覚えてやがる。案内役の義弟が「後で大昔の宮城島のコンビナート建設反対運動の話しを聞かせて」と言われたけど、今回の旅では写真を撮るのに専念していたので、ついに果敢な闘争については語らずじまいとなった。
7/24/2007
炎天下での「おばあー」との対話・・・/
[・・洒落た首里のバス停・・] 午後の1時半頃このバス停の前を通りがかった老いた婆さんに、「おばあー、暑いせいか、人の通りも全くないねぇー」と声をかけたら、「やなにぃーせーぐわぁひゃー、ダレに向かって「おばあー」かヒャー、わんやミズも滴るよなウラ若き女性だよ~」となじられた。 〔^〇^〕 (・・実際は屋根の上のシーサーみたいな顔だった・・) 沖縄の女性は「美らかーぎ(美人)と、やなかーぎ(不美)と、木のかーぎ(木陰)があるらしい。なんとなく対話が弾んで「私もこのハチグヮチ(8月)で還暦だよ~」と歳を教えてくれた。は、ハッ!。顔全体に皺で示した60本近い年輪が刻まれていた。あいえ~なー、自分より随分と若い人を「おばあー」と呼んでいたなんて・・・/ 手前の石彫の「シーサー」がアッチ向いてホイしてますなあ・・・///
ここ東京にもようやくお日様が・・・/
[・・サバニと思いきやベンチだった・・] 7月に入って東京の日照時間の合計はたった5時間とか・・。毎日のように小雨が続き蒸し暑い状態にウンザリしていたが・・、今日は天気予報に反して朝から快晴となり気分は上々だ。7月生まれのせいか真夏のカンカン照りが大好きだ。今回の沖縄への旅でも「今日は真夏日なので昼間の外出はお止しなさい」と何度も忠告されたが、、「俺は写真を撮りにやって来たのだ」と夜明けから日没までカメラを引っさげて『健全なる社会活動』に徹していた。 〔^〆^〕 写真は本島中部の海水浴フリーゾーンの腰掛用のベンチだ。写真を撮り終えて小舟の回りを廻ったら「どうぞ自由にお掛けください」と記されていた。微風にのって島んちゅぬ人情というか心遣いがジ~ンと伝わってきた・・・//
7/23/2007
自家製初物のゴーヤーちゃんぷる・・/
[・・豪勢に作った三人前のゴーヤーちゃんぷるー・・] 朝からずっと小糠雨が降っていて嫌な日だった。ゴーヤー畑に目をやると小振りながら3っつが食べ頃。TOPPOさんからの書き込みの、「“ごーやー で チャージ”」という標語を思い出した。【作り方・レシピ】 食材=①.ゴーヤー小3本を縦に切って中の種とワタを取り除く。②.玉ねぎ二分の一個をザク切りにする。③.もやしⅠ袋+木綿豆腐一丁。①.大きなシナ鍋にサラダ油を強火で熱して、②.玉ねぎとポーク・お豆腐を炒める。③.最後にモヤシとゴーヤーの薄切りを加える。味付けはお塩と黒胡椒とゴマ油少々だけ。僅か10~15分で出来上がる即席料理だが、常夏の島の熱帯夜での酒の肴には最高の味覚だ・・。〔^〆^〕 東京の八王子で食しても文句なしの特殊な料理なのであります・・・/
7/22/2007
ちょっとした家構えだとマンション業者が・・/
[・・赤がわらの家・・] 沖縄県本島の北部を総称で「やんばる」(山原)と呼びますが、昔も今も長閑で其処に住む人々は人情に厚い・・。若者は仕事を求めて那覇の街や[大阪・東京]等へと出て行く。今回の結婚式の新郎は昔でいう上本部村の出身で、新婦は直ぐ隣の本部町の出身なのだ。そのことが明らかになったのが「結納」の席であったらしい。お席では「ハキサミヨウー!狭い沖縄やいびーんやー、悪い事はお互いにできませんね…」と会話も弾んだそうな・・。写真は沖縄特有の赤瓦の民家のたたずまいですが、ヤンバルにはこういった屋敷構えの家が今でも多い。最近では「ちゃーびらさい}とヤマトの不動産業者がやって来て、行き成り「お宅の家屋敷を一1千万で売ってくれませんか」と、アタッシュケースの札ビラで爺さん、お祖母さんを困惑させているのだそうな・・・/ 島には、「お金は一時、土地は一生」という思想があるので、ここ当分は大丈夫だとは思うのだが・・///
7/21/2007
島では日増しに怒りの声が増幅している・・/
[・・那覇空港を飛び立った飛行機の窓から写した慶良間諸島] 今回の沖縄の旅で是非とも撮りたかった待望の写真です・・。これが晴れた日に首里の高台とか、那覇空港の2階の出発ロビーから見える慶良間諸島の全景の写真なのだ。其の中の一つが悲惨な「日本軍の軍命による集団自決が起きた渡嘉敷島」だ。アメリカ軍は沖縄本島へ上陸作戦に先行して、この島を占領して長距離砲のお台場を構築したのだが、敵軍の上陸を前にして日本軍は住民から軍の情報が洩れるのを恐れて、無残な集団自決へと追い込んだのである。島で生き残った人々の供述を基に編纂された、高等学校の歴史教科書から、「軍命」よると「強制」が消されるという。今の内閣は「歴史の真実」を改竄して何処へ進もうとしているのか・・。政府にとって『不都合な真実』を消し去って「美しい日本」と言われても、あの島で「天皇陛下万歳」と尊い命を散らした島の人々魂は救われまいに・・・/
やっと沖縄も快晴にもどったそうな・・・/
[・・沖縄の海と橋と碧い空・・] 沖縄から電話があって「やっと久々に晴れ間が戻ったサー」との事。台風4号以来愚図ついていた空が写真のように綺麗になったようだ・・。声のお便りをくれたのは高校の社会科の先生だ。「貴殿の65年当時の、渡嘉敷島での軍の命令による集団自決に関する、聞き取り調査は極めて重要なので、近々われわれの副読本を補強します」とのことだった。沖縄の諺に「慶良間や見いゆしがマチ毛見いらん」というのがある。遠い海の彼方の「慶良間島は見えても、自分自身の眉毛はみえないものだという意味だが、島の社会科の先生方よ!・・、自分達の足で島を踏査して、70代後半の人々と語らってご覧よ。あそこで戦時中に軍命がどういう形で、島の住民に伝わったのかが・・、よ~く具体的に分かると思いますよ。貴様らは天皇陛下の赤子だろうが!・・、「お前らは以心伝心を知ってるか」&「言わずもかなを知っているか」と脅しながら、手榴弾の信管を抜く仕草で訓示をしたそうな・・・/
装甲車が県立擁護学校に突如侵入!・・/
【・・傍若無人な沖縄の米軍の装甲車!・・】 去る18日午後4時53分ごろ・・、沖縄県うるま市の県立沖縄高等養護学校と、宜野座村の農産物直売店に、突如としてアメリカ軍の装甲車が侵入したそうだ。擁護学校では運動場で体育練習ををしていた生徒たちが、突然の戦車の走行爆音に怯え慄き、農産物直売店では通報を受けて駆けつけた村役場の職員に、Vサインを出して歓声を上げていたとの事。沖縄県知事も関係各市町村の首長らも、一斉に抗議の談話・声明を発したが、日本政府の対応は相変わらず「地位協定がどうたらこうたら」・・らしい。この兵隊たちはそれぞれが属する中部の基地から北部の共同演習場へ移動中だったらしいけど、きっとアメリカの各州で徴兵された「新兵」だろうと思う。そ奴らを沖縄のベースに連れて来て、日本政府の提供する軍事基地で、徹底的に訓練をしてIRAQの戦場へと送り込んでいるのだ!。いまやテーゲーナーに陥った沖縄の諸君!、緑の旗でも赤い旗でも構わないから、大きな旗をぶっ立てて抗議の輪を広げるのだ・・・/
7/20/2007
島の若い娘は年寄りを大事にする・・/
[・・沖縄のかりゆしシャツ・うーじ染めは涼しい・・] 今回の久々の「島巡り沖縄」への旅は・・、島が梅雨明けしたばかりの時節柄からか、猛暑とまではいかないものの相当の暑さだった。日中は33℃前後なのだが最低気温も29度。夜が寝苦しいと其の疲れを昼に引き摺ってしまう。島に着いた翌日には姪っ娘たちから、このウージ染めの「かりゆしウェアー」をプレゼントされた。内閣総理大臣とか閣僚たちがアタカも「省エネを実行していますよ」と、テレビの前でだけ着衣しているのとは質が違う。沖縄ではもう35年も前から「クールビズルック」が公認されていて「冠婚葬祭」でも通用するのだ。サトウキビの葉を染料にした何とも涼しげなシャツだね・・・/
三日間で車の走行距離は450Kmも・・・/
[・・「多野岳から島の北端を望む」・・] 左半身に大きな疲れを感じ時計を見たら16時だった。案内を買って出た年若い兄弟たちが「足も疲れたようだし、そろそろホテルに戻りましょう」ということになった。「もう二度と来れないかもしれないので・・、最後にあの山の頂から国頭村の北端を見たい」とお願いをした。屋我地から車で20分そこらで山頂に着いたが、台風の影響なのか急に真っ黒い雲が辺りを覆い隠してしまった。海の色がハッキリしないけど、Mrダグラスに「写真上の左側が東支那海で、右側がパシフィックオーシャンだよ」と説明したら、アメリカ人らしく大きなゼスチャーで感動してた。日本の国土の1%にも満たないこの沖縄に、何でお前等の国は駐留米軍の75%を配備するのだ」と、言葉きつく責めたけど「私は単なる民間人なのですよ。でも今の意見は極めて重要です」とのことだった。(^〆^) はは。 もっと若ければ昔みたいに「ゲバルト」かけたのに・・・/
7/19/2007
城跡の面積は首里城に匹敵するという・・/
[・・①平郎門・・] 本門で昭和37年に修復されたとの事です。門の両脇には狭間がの空間が在り、門番が常に見張りをしていただろうと思います。この城は別名北山城とも言われ、いつ誰によって築かれたのかは不明な点が多くて分からないのだそうです。14世紀の中国の史書に琉球国北山王の記述があるそうで、この頃の沖縄本島は、北部地域を北山、中部地域を中山、南部地域を南山が支配していたようです。北山王は沖縄本島の北部を支配し中国と貿易をしていたよです。しかし、1416年に中山の尚巴志(しょうはし)によって滅ぼされ、北山としての歴史を閉じることになります。その後1422年に中山の監守の居城となりますが1609年に薩摩軍による琉球侵攻にあい城は炎上したそうです。
安いホテルを紹介してと言われてもネー!・・/
[・・「安さと親切が取り得です」・・] このブログの御馴染みさんらしき大学生の方から「近々に友人と沖縄を旅したいが、宿泊代の安いホテルを教えてください」とのメールを頂いた。写真のホテルが今回ボクが利用した宿だが、ヤフートラベルで航空運賃+五泊のホテル代込みのパックで、52.000円という超価格破壊の旅でした。因みにこのホテルはシングル価格が3.780円だそうです。さらに『今シーズンから学生割引を開始』と書いてありました。参考までにボクの評価はCクラスです。(爆笑) 投宿した当日部屋に通されて真剣に宿替えを検討しました。女性の支配人さんに「時々大きなゴキブリが出ますので、後で殺虫剤のボンベを届けましょうね・・」と言われたからです。しかし、滞在中に恐ろしきゴキブリとは対面しなかった。朝ご飯は450円で前払いですが決して不味くはないです。コンベンションセンターまで車で5分ぐらいです。国道58号線沿いですので那覇まではバスで15~45分位かな・・・/ 電話は 098-877-8385 で~す。
今朝も早く目覚めてしまった・・/
[・・庭に咲いたグラジオラスと河原ナデシコ・・] 4時に朝刊配達のバイクの音で目覚めてしまった。昨晩は9時過ぎに寝床についたので睡眠は充分。庭に出て小さな畑の「ゴーヤー」の生育状態を確認す。極めて順調に育っていて梅雨明けには収穫できそうだ。下草などを毟っていたら小鳥の餌台の下に子猫が蹲っている。どうしたのだろうと近づいたらビッコを曳いて動いた。ガリガリに痩せ細っていて元気が全くない。朝の食事にと買って置いたパンをそっと与えたら・・、それを丸ごと咥えて草薮の中へと消えて行った。隣の奥様が「今度やって来たら私が餌付けしますよ」と言っていた。朝の挨拶代わりに「私には、そんな余裕はありませんので、どうか宜しくお願いいたします」と引き継いだ。さあ~今日は仕事日だー。ちょっと早めだけど空いた電車で出かけるとしよう!・・・/
7/18/2007
尽きることの無い赤バナー談義・・/
[・・赤いハイビスカスの花・・] 【民宿のような「長期滞在者用ホテル」の庭の生垣で撮った一枚の写真】
デジカメのシャッターを押すと後ろから大きな声で沖縄オバーから「ぬうが赤バナーや珍しむんな ?ー」と語りかけられた。別に珍しい花とも思わないんだが、何となく懐かしくて撮ったのである。「昔ぬネーさんや、くぬ花ぬくとぅ『赤バナー』んでぃ呼ぶしが、相当ぬ高齢者やいびーんやー」と、さりげなく皮肉ったら・・、アンタよりも14~5歳は上サー、それが悪いカーひゃ!ー」ときた。(・・実際はボクより2歳若かった・・) 今でこそハイビスカスとハイカラな名称だが、われわれの若かりし頃は単なる「アカバナー」だった。文学少女が「ブッソウゲ」と呼び、そうではないヤナカーギー叔母さんが「グソーバナ」(あの世の花)と詠んでいたっけなあ・・/ そんな「ゆんたく・ひんたく」をしていたら、最後に「アンタはヤマトゥンチュだが、沖縄から奥さんもらって、総ウチナーンチュになったらいいサー」と、とても有り難い様な嬉しいようなお誘いがあった。は、は。
沖縄の夏の暑さは半端じゃない・・/
[“太陽がいっぱいで白い雲が眩しい”] 今回も『那覇空港』に下り立つと同時に・・、ブワ~という熱気で目が眩んでしまった。今の時期は【平均的】に昼間の最高気温が33℃もある。夜か明け方の最低気温が29度前後なので、体調の維持管理にはどうしてもクーラーが必要だ。しかし、どんなに暑くても木陰に入ると涼しいから不思議だ。きっと海洋性の気象なのでスカッとしているのだろう。ボクは昔から写真のような風景が大好きだ。灼熱の太陽でアスファルトに照り返す熱気、昔ながらの赤瓦の屋根と白塗りの壁・・、外気の暑さで茹だってウッチンターしている植栽、そしてその向こうの透き通ったような青空に浮かぶ白い雲。今回もその沖縄の原風景の前に腰を下ろして、時の経つのを忘れて何時間もずっと静かに佇んでいた・・・/
7/17/2007
母なる海からの贈り物・・/
[・・「久髙島の海ぶどう」・・] 沖縄のいろんな島々で「海ぶどう」は採れるけども・・、なんといっても「久髙島」の海葡萄は格別に美味しい!。別名“南海のグリーンキャビア”&“球美の海ぶどう”は、エメラルドグリーンで新鮮、そして粒と粒の間がぎっしりと詰まっているのでボリュームがあり、磯の香りとプチプチ感が口の中で弾けだす食感は最高です。これに勝るとも劣らないのが「久米島産の海ぶどう」だ。東シナ海に浮かぶ久米島の深度612mから取水した、海洋深層水を利用して養殖しているだけあって、ミネラル分が多くて味も旨味も最高だ !。今日は仕事でクタクタに疲れたので、10年物のクース(泡盛の古酒)で心を癒すことにしよう!・・・/
7/16/2007
お~~い!生きてとるか~?・・・/
【手作りのトースト・サンドイッチ】 今朝は食事を和食にするか、それとも洋食にするのか、ずいぶんと迷ったのだが・・、結局は写真のような、トーストサンドとなった。①バタートースト・&・②ジャムトースト に玉子焼きとバンバンジーサラダを挟む豪快な物となった。それにプラスして8種類のヴジタブルジュースを大きなタンブラーでガブガブと飲む・・。ははッ。食前に薬一個、食後に5種類の薬を服用するので、朝の食事は極めて重要なのである。今回、アメリカからやって来た義妹弟たちが、「兄貴の作る料理はとても美味しいね!」と、盛んにお世辞を言っていたが、「うん、俺の住んでいる国は、戦争をしないので、食文化は世界で最高の水準なのサ!・・」と言ってやった。
7/15/2007
素朴な味がして…、スタミナ充分だよ~//
【・・沖縄んソーミンちゃんぷるー・・】
今日のお昼に作った我家の「素麺チャンプルー」で~す。栄養満点で且つ作り方は至ってシンプルだよ。先ずは乾麺のソーメンを熱湯で柔かくなるまで茹でて、季節の野菜とかキャベツ&モヤシをゴタ混ぜにして炒める。わが家では缶詰の「コンビハーシ」とか・・、彩りを鮮やかにするため「金糸卵焼き」とか、細切りにしたハム等をゴタ混ぜにするが、今日は雨台風で買出しに行けないので、有り合せのキャベツとコンビハーシだけで仕上げました.。少し贅沢を言うとトッピングにラフテェーか、三枚肉がが乗っかると最高だろうなあー・・。♪♪・・。今日は沖縄で買ってきたコーレーグスを3~4滴垂らしたら・・、はきさみよう~♪ハット&ハット♪で、汗びっしょりになったけど最高に美味しかったなあ・・・//