11/30/2007

【665】 身体には「一汁二菜一飯」が良いとか・・/

        [・・日本橋でもチョッと路地裏に入ると・・]   今日は朝から小糠雨が降って寒い一日だった。現場の外周を2~3回朝の御挨拶を兼ねて巡回をしていたら・・、町内の役員さんの御宅に招かれて美味しい『珈琲』を御馳走になった。小半時ほど工事にまつわる騒音の原因とか振動が何故起き発生するのかの話しをさせて頂いた。現在、発生している工事の振動とか騒音は可能な限り軽減しており、これ以下に抑えることが出来ないほど抑制をしている事の説明もした。其の方が「こういうふうにデジタル動画とか写真をふんだんに使って説明してくださると素人でも分かるね」と仰ってくださった。説明のための小道具は何時もショルダーバックに入っている。僕は口下手なので拙い説明で如何にすれば先方様から理解が得られるか、常にあらゆる工夫を凝らしながら今日の「交渉人」の地歩を自らで築いてきたのである。

11/29/2007

【664】 真冬なのに横浜で赤バナーが満開?!・・/

          [・・昨日の半開きが今日は満開となる・・]   昨日の写メールに引き続き今夕も第二弾のこの写真!・・。キャ~!!、すぅ、すぅッ凄すぎ~るる!~~ぅぅ~~。DORAさん邸の『俳句でおしゃべり』の欄の常連俳人の、たまご さんが、「TOPPOさんて沖縄の方ですか?」と書き込んで居られたが・・、こういう生物学的な芸当のできる「沖縄病」の超熱烈ファンにお目にかかったのは初めてである。まあ、中央の俳壇で堂々と顔写真入で「論説」が載るような偉いお方ですので、沖縄の人々の心を確りと掴んでおられるのでしょう。いや~ッ、いや~っ、何はともあれ真冬のヤマトで、「アカバナーが咲き誇っている」なんて信じがたい。

【663】 えッ!、横浜で赤バナーが咲いたそう!・・/

            [・・TOPPO邸のハイビスカスの花・・]              横浜で呑む島の酒冬ぬくし  TOPPO

  昨日、横浜のTOPPOさんから写メールで届いた赤バナーの花。拙宅では鉢植えの赤バナーの最後の蕾がそのままで冬枯れに入りそうだが、ここよりやや温かい横浜の地では驚異的にもまだまだ咲き続けているようだ。此の花の本家本元の沖縄地方とか奄美大島では果たしてどうなのだろうか・・。 

11/28/2007

【662】 落葉の清掃がとても大変そう・・/

       「・・木枯しや尨毛の犬の先遮へぎ・・」   昼間の行灯   人々は秋の深まりとともに「紅葉・黄葉」を見て美しい・綺麗だと喜ぶのだが・・、山間部は兎も角として街中の地域の方々は清掃で大変だ。国道などは管理事務所によって機械清掃が行われいる。しかし、それは専ら車道のみであって歩道などは地域の人々の手を借りているようだ。歩道が綺麗なのは地域のバランティアとか町内会の老人の方々の賜物だ。落葉を放置しておくと雨の日や雪ともなるとツルんと滑ってしまう。僕の駅までのルートでも毎朝三人の御老人が箒での掃き掃除をなさっている。昨日は感謝の意を込めて温かい缶コーヒーとボトル茶を三本づづ差し入れをした。

11/27/2007

【661】 下手な指で俳句をひねっています・・/

       煮大根甘辛仕上げ悦に入り  昼間の行灯

       蜜柑むく見舞の客の髪黒き  昼間の行灯

       木枯しや庭師の歩幅尺と五分  昼間の行灯

       木枯しや甕の縄解く古き酒  昼間の行灯

       木枯しや土蔵の扉かけす二羽  昼間の行灯

       九年母を六つ浮かべて湯浴みかな  昼間の行灯 

       九年母剥き桂香はるかに郷の在る  昼間の行灯

11/26/2007

【660】 そろそろ捻じり鉢巻で追い込むか!・・/

         [・・丸の内側から見た東京駅の駅舎・・]   僕の仕事は年末から年度末にかけて猛烈に忙しくなる。要するに工事現場が忙しくなると、工事の発生[振動・騒音]も激しくなるので、苦情もそれなりに多発するからである。先週から今週にかけてちょっとばかり息抜きをしていたが、いよいよ苦情が集中してきたらしい。今回はどうやら東京駅に何処かに拠点を構えて・・、ここをベースにして幾つかの現場対応となるらしい。まあ、従来のように365日全天候型24時間出動体勢とはいかないが、苦情処理の仕事は初動が一番肝心なので此処で待機しておこう。

11/25/2007

【659】 懐かしいYOKOHAMAの街での出会い・・/

            横浜で呑む島の酒冬ぬくし  TOPPO       
       [・・写真は我が家のユーバン(夕飯)で~す・・]   昨日は、もう何年もメールで語らっている方々との感動的な初対面を果した。僕が今年の4月に脳梗塞で倒れて三度の入退院と二度の大きな手術を受けたが・・、其の方々の心温まる激励のお陰で何とかあの苦難を乗り越える事ができた。ずっとメールで励ましてくださったTさんが、「リハビリが一段落したら沖縄家庭料理でもつつきながら快気祝いをしましょう」とのことだったが遂に実現したのだった。ご招待を受けて連れ合いと出かけたのだが道すがら「ここ東京に移住してから30年にもなるけども、プライベートで人様と会食するのは初めてだなあ」とやや緊張していた。
 
  しかしメールの友達というのは不思議なもので、初対面でありながら全く旧知の間柄のようだった。忽ち久々の同窓会とかクラス会のすんなりとしたフィーリグとなった。泡盛のクースを酌み交わし、耳皮刺身とか、ゴーヤーチャンプルー、グルクン(タカサゴ)の唐揚げなどに舌鼓を打ちながら沖縄談議に興じた。つい最近Dさんも沖縄へ初めて旅に行かれられたが、Tさんは何度も沖縄を旅なされれた『格別の沖縄通』であられる。このお二方は俳句の大先輩でもあるので話しはあっちに飛び、こっちに跳んだりしたけど、Dさんの御主人を交えての実に楽しくて有意義な3時間であった。又のお会いを楽しみにこれからもしっかりと人生を歩もう!・・//

11/24/2007

【658】 道標より西南を載せれば東北方面も・・/

     [・・北が 札幌 までは青函トンネルの開通以降とのこと・・]   昨日、日本橋から鹿児島(かごんま)までの里程標を掲載したら・・、さっそく仙台とか弘前、札幌の当ブログ愛読者の皆様から「不公平だがな」とのメールでのお叱りを受けた。まあ、左様な事態も起こり得るとの第六感の「危険予知」が働いて上記の写真を撮っておいて良かった!。もしも、沖縄から其の種の苦言があれば「やーや、ふりむんどぅやんな」の一言で片付けるのだが・・。天下の副将軍[水戸黄門]様が全国漫遊したという史実は無いとの事だが、それにしても我々の御先祖様は近代に入って【新橋】 Ξ Ξ【横浜】間に鉄の道が開かれるまで、遠出の旅といえば大変な御苦労が伴ったものだろうなあ!・・。

11/23/2007

【657】 泡盛の古酒たるや、天水の麿味の如し・・/

  今しがたまで延々と、僕が沖縄で最も尊敬する現代の[泡盛の鑑定者]でもあられる久髙氏と電話で語らった。彼の最も専門とする酒類の鑑定の分野というのはウヰスキーであるが、いやいや沖縄古来の「・・クース・・」(古酒)に関しても造詣が深い方であられる。けふの語らいで「泡盛のクースというものは、10年物以上の古酒というのは、全ての銘酒が同じとだ思うよ」というのが、この酒をこよなく愛し粋を極めたお互いの結論となった。今、注目を集めてメジャーとなった泡盛のクースの造り酒屋はさて置いて、この次にお会いする際は「沖縄の小さな離島の名も無い美味しい酒の発見に努力しようね」となった。

【656】 日本国の道路の元標は日本橋にあり・・/

    【・・1601年日本橋の架設により江戸幕府より定められる・・】   午後から所用で都心へと向かった。指定された待ち合わせの場所は日本橋の道路元標。旗日などの休日は喫茶店は満席だ。建築業界のビジネスの世界で遅刻は厳禁だ。先方は拙者の『知識・力量』を試したのだろうが、そうはどっこい田舎者だから其の手には乗らない。先方さんが「良くここがわかりましたね。交番のお回りにでも来たのですか」と軽口を叩いた。「いやいや、私の実家は人形町にありまして、ここで濱上げされた鮮魚で、★☆★星の鮨屋を営んでいました」とかなんとか茶化した。行き交う人は無関心で見向きもしないが、橋の袂の一角にこの 『道路元標』 の銅版が平らに埋め込まれているのである。

【655】 寒くてウォーキングの仕切りなおし・・/

        【・・今日の朝日を浴びたマウント冨士山・・】    何時もの出で立ちで朝のウォーキングに出かけた。2キロばかり歩んだところで木枯らしが吹き始めた。小さな軽量リュックに入れて置いたはずのマフラーと手袋が無い。そういうものは滅多に身に着けないのだが3回ほどクシャミガ出た。明日はお出掛けなので風邪を引くわけにはいかない。仕方が無いので渋々と一旦自宅に引き返した。御殿峠から見た国道16号線(東京環状線)は八王子インターに向けて延々と数珠つなぎの渋滞だ。

【654】 今朝はこの冬一番の冷え込みです・・/

    [・・雲ひとつない冬晴れの落陽・・] (H19年11・22日撮影)   この所ずっと快晴の日が続いているが・・、そんな折に西の空がこのような美しい落日に燃えると、その翌朝は決まって真冬日となってしまう。今朝5時に目覚めて寒暖計で室温を確認したら8度。小庭に出たら寒さで思わずブルルンと振るえ、外気は摂氏2度で辺り一面が真っ白な霜景色となっていた。今日の八王子の日中の気温は10度を割るという。駅へと向かう勤め人の襟には厚手のマフラーが、いよいよ長くて辛い冬がやって来たのだなと実感した。

11/22/2007

【653】 うぅ~ん・・、これは凄い絵だぞ!・・/


  この神社から北西へ2㌔mばかりの所に、『八王子絹の道資料館』がある。其処へは嘗ての鑓水の絹商いの豪商達の館から輩出された、葛飾北斎とか狩野派の重鎮の絵画が幾つかあるが、この壁画もそれら豪商たちが寄進したものだろうか。お茶の飲んでいるふりをして実は濁酒でも呑んでいる様なのかなあ。このように自分にとって何か新しいものを発見した時、僕の心はとても浮き浮きして果てしなく揺れ動くのだ。素直にやって来たコースを戻らずに西へ西へと歩き続けた。我に返った時は自宅ヵら7キロも離れた高尾駅だった。新たなる凄い発見を記念して高価な『自然薯トロロ定食』を食べて電車で帰宅したのだが・・、ドアの表で万歩計の数値を確認したら15440歩だった。其の後の歩行などを加算すると2万歩以上となるであろう。

【652】 本殿の再建が1652年と記されている・・/

          [・・社務所に人の気配は全くなし・・]   近くのお百姓さんらしき方に「社務所は何時に開くのでしょうか」とお訊ねしたら・・、「春は二月初牛、秋は九月の三日の祭りの前後しか開かんじゃよ」とのお話しだった。そういへばいろんな所が頑丈な南京錠で施錠されている。まあ、お互いに耳が遠い者どうしの会話だから真偽のほどはそれなりに・・。立て札に「此の宮の再建に当たった棟梁は飛騨内匠と称す」という記述がある。その棟梁の高名は確か日光東照宮にも記されている。木製の壁の至るところに緻密な彫刻が施されている。板壁の欄間下の壁画を見て思わず脚が震えてきた。

【651】 直ぐ近くに、こんな立派な神社が・・/

         [・・今時とても珍しい檜柱の鳥居・・]   朝のウォーキングコースは4~5通りあるのだが、今朝はその中のB(河べり)コースを3000歩進んだ。何時もはここで小さな橋を渡り対岸の小道を戻って帰る。その折り返し点の右手前方の方に鎮守の杜がある。今日は思い切って其処まで足を延ばした。いや~ッなんていうことだ~っ訪れてビックリ仰天した。ここの 御祭神・宇賀御魂命 は建久元年(1190)の当地に鎮座されたと記されている。何と今から800年も前に建立された古い歴史を持った神社だった。

11/21/2007

【650】 今週はずっと秋空が続くようで嬉しい・・/

          [・・八王子高尾の高楽寺の枝垂桜・・]   今年の5月だったか・・、この寺を訪れ見事な「枝垂桜」に見惚れた。「櫻を切る馬鹿、梅切らぬ阿呆」とか・・。このまんまの形で厳しい冬を迎えるのだなあ・・。雪が積もるほど降った日に其の雪景色を見に来よう。しかし、今の姿もなんとなく哀愁が漂っていて素敵だった。

11/20/2007

【649】 『ウォーク』・歩け歩け・『ウォーク』・・/

     [・・何れも大嫌いな玉葱を食べれば基準値に戻るという・・]   町の診療所の主治医から「先日の基本検診の結果が出たので来院を」との電話を受けた。その結果の心配事は、①中性脂肪が373(mg/dl)でやや高い。②総コレストロールが253でこれもやや高いとの事だった。「何れも直ちに対症療法を施す必要はないが、念のためお薬を処方しましょうか」と言われたがNOサンキューにした。この数値は一日に1時間以上歩けば燃焼するのだそうだ。今ですら月に1万8千円~2万4~5千円も薬代を払っている。この種の薬は一度飲み始めたら止めることができないのだそうな・・・・//

【648】 年代物の紹興酒の瓶を頂戴す・・/

    【・・この逆さ文字は現在の 『福』 が逃げませんようにと・・】   昨日の正午過ぎに行きつけの中国料理屋店主の陳さんより、「毎日毎朝ブログ見ていますが、紹興酒の瓶が空になったので、先生に差し上げますデス」と電話があった。お店が空く頃合を見計らって2時過ぎにお邪魔した。以前から所望していた大きな容量(24ℓ入り)の中国製の瓶だ。沖縄の琉球泡盛の古酒と中国の紹興酒の話題に花が咲いた。陳さんより、「この紹興酒は歳が9年物です。沖縄のクースと同じ価値ありますか?」と訊ねられた。ちょっと答えを選んだが「紹興酒の原材料はお米と小麦です。酒の種類が全く違うので比較できない。酒を古くして『老の酒』にするは同じだね」と答えた。それにしても一斗3升の瓶とは尺貫法の違いなんだろうか。・・・//

11/19/2007

【647】 琉球泡盛のクース(古酒)とは・・/

      【・・43度以上の泡盛を素焼きの瓶に貯蔵する・・】   今朝のブログでの『クース』(古酒)の記事をご覧なられて・・、「泡盛の古酒はヤマトでも作れますか」という問い合わせが、6~7本ほど入ったのだが其の答えは非常に難しい。しかし、強いて日本本土で泡盛の古酒を造ろうと思えば次の手順が必要だ。先ずは43℃以上の泡盛の新酒と陶器製の素焼きの瓶を準備すること。【…写真の瓶は紹興酒の瓶…(24ℓ入り)】 上記の写真のような瓶(カメ)に、絶対条件として43℃以上の泡盛を冷暗所で密閉保存貯蔵すれば、5年経過すれば5年もの10年経過すれば10年物となる。素焼き瓶だからこそ瓶の壁面の細かな粒子の穴から『泡盛』は、緩やかに静かに呼吸をしながら加齢を重ねているのである。

  まあ、そんなに気長に待てないのであれば3年を経過すれば一合呑んだら、新たに新酒を一合継ぎ足すという風な飲み方をすればよい。この継ぎ足す事を沖縄では「仕次ぎ」といってクースの経年深化を保つ上で非常に重要なのである。戦前はどのようなお宅にも酒瓶があって名家ともなれば一石瓶が3~5本はあったという。古い順から⑤.50年物以上の甕 ②.40年もの以上の甕 ③.30年もの以上の甕 ④.20年もの以上の甕 ⑤.10年未満のカーミ といった塩梅の古酒の貯蔵だったらしい。あの首里城の酒蔵には300~200~100年物が中国からの貴賓用として蓄えてあったという。

 

  さて、大昔の琉球王国(沖縄)には『古酒文化』というのがあって・・、名家同士のお付き合いの宴席では古酒の品定めが自慢の種だったらしい。これは2~3日前の地元紙「琉球新報」の『泡盛・放浪記』(長嶺哲成氏)によると、三つのクースの鑑定基準めいたものが厳然とあって、①.【白梅の香(かざ)・鬢付け油の香り】 ②.【トーフナビ香(かざ)・熟れたほうずきの香り】 ③.【ウゥーヒージャー香(かざ)・雄の山羊の香り】 のランク付けがなされたという!。うぅひ~じゃーかざ=(香り)というのは百年以上のクースだというから、三代後の末裔のために(爺→孫)夢を大きくして作ったそうな・・・//

【646】 琉球泡盛の『クース』(古酒)論議・・/

      [・・わが家のクース(古酒)の最年長は30年物・・]   最近、都内では『沖縄料理』専門店以外の居酒屋でも、泡盛のクース(古酒)を出す店がかなり増えた。中には一合(実際は7隻)一万5千円というのもある。まあ、デパートで三号瓶で7万5千円というのもあるので・・、5年物・10年物・15年物ともなれば当然の値段かもしれない。ある居酒屋で大の沖縄病の店長が20名ぐらいのお客さんの前で「古酒鑑定士の〇〇さん、三つの杯に3種類の酒を入れますので、どうか当ててみてください。できれば銘柄まで当ててくださるとありがたい」と仕掛けられた。偶然性の三乗の奇跡的回答で6つの正解となったのだが、実は『泡盛』は造り酒屋の個性が如実に現れる酒なのである。琉球王朝時代は泡盛の製造は首里の三ヶ所(赤田・鳥堀・崎山)でしか認められなかったらしい。今では全県下に造り酒屋があるが何れも三カのどちらかの銘柄の系統だという・・。//

11/17/2007

【645】 孫(小6)の学習発表会・・/

         [・・華々しくデビューしたドラマーの横顔・・]   先週、孫ッ子の「龍之介」から電話があり・・、「爺ちゃんは来週の土曜日空いている?」との事だった。このところ(ずっと毎年のことだが)週末に仕事が立て込んでいるので、返事に窮していたら「あのさー、その日は学習発表会があり、俺れッ~バックミュージックの生バンのドラムを叩くんだ」との事だった。彼が立川の[アーティスト学校・ドラム教室]へ通い始めてから早3年になる。その事を含めて2歳児保育園児の頃から一度も学校行事には出席をしていない。昨年は「ひょっとして、爺ちゃんは、僕のこと嫌いなのかも・・」と言われた。もう六年生だから間も無く小学校も卒業となってしまう。中学生ともなれば先ずはお呼ばれはゼロだという。今日は仕事パスして朝から南大沢へと出かけた。前後2回の演奏だったが実に軽快なドラム捌きだった。プログラム最後の6年生の 8.「ユタと不思議な仲間たち」(イジメ問題)の演劇のラストシーンを・・、♪バランバンバン♪・・・・・・・バンバンバン♪♪チ~ン♪♪♪で見事に〆た。

【644】 カンボジアから届いた写真とお礼状・・/

          [・・水浴びに興じる純真な子供達・・]  去年の6月の頃だったが地元八王子の、「登龍門旅行会」カンボジア・ベトナム旅行に参加した。彼の有名なアンコールワット観光を終えてベトナムへと向かう際に、地元の案内役の旅行社の現地係員が「このTシャツを2.000円(邦貨)で買ってください。その内の200円を積み立てて、貧しい人々の家庭に井戸をプレゼントします」とのアナウンスがあった。聞いてみると井戸を一基掘るのに20.000円はかかるという。長きに亘る戦争で国中のインフラが破壊されたままだ。地方の片田舎にへ行くほどに其の窮状は酷い。200円の積み立て云々のそんな悠長な事では駄目だ。ツアー参加者全員の協議で衆議一決。一人2千円づつカンパをし忽ち2万円が集まった。手紙には「お陰様で毎日2~3㌔㍍も離れた井戸へと、水汲みへ行くこともなく勉強に励んでいます」と記されていた。

11/16/2007

【643】 成人検診の受診結果は全て異常なし・・/

         [・・長生きしても良い事あるのかなあ・・]   里山を~ゆらり~ゆらり~とウォークしていたら、携帯電話が鳴り主治医さんから「先々週の成人検診の結果が出たので来院したもらいたい」との事だった。市の成人検診なので「基本検診」は無料で、肺癌検診が700円・大腸ガン検診が500円だったけども・・、「異常なし」となるか「あの世行き」と告知されるか、診療所のドアを潜るまでは少し不安だった。25~6年の馴染みの主治医から「検査項目の全てに異常はありませんでした」と告げられた。現在の食餌療法を続けておれば後2~30年は大丈夫とのことだった。ひょうっとしたら『二度目の東京オリンピック』も見れるかもしれない・・・・//

【642】 うって変わって15℃の冬の世界へ・・/

        [・・寒いでござる「ひ~さよう」寒いでござる・・]   まあ、昨日の天気予報で・・、「この秋の暖かさが南の海上に去って、明日からは最高気温が15℃の冬の訪れです」とは聞いていたものの、今朝目覚めたら室温が17度で屋外の気温は摂氏9℃だった。朝のウォーキングも厚めの靴下と登山用の靴で出かけた。里山でずっと騒々しく鳴いていた虫の鳴き声が絶えて小鳥の甲高い鳴声がした。僕以外の人はは皆マフラー巻いて温かそうだった。・・・ずっと先方で[・・車椅子がガクンと傾いて動かなくなった・・]のが眼に入った。気がついた時は我を忘れてほぼ全力疾走で橋っていた。その方の車椅子は片方の車輪が側溝に落ちていた。怪我も無かったのでお互いに喜び合った。今日の収穫はイザという時は駆け足も出来るという事だった。

11/15/2007

【641】 橋桁の構造を鮮明にですって・・/ふう~・//

         【・・対岸の橋脚・橋桁も全く同じです・・】

【640】 これが甲斐の猿橋で~す・・/

        [・・日本の三奇橋の一つ甲斐の猿橋・・]   河口湖ひとり旅の最中に沖縄からメールが入り、「甲斐大月の猿橋の写真を撮って、ブログに掲載してもらいたい」との事だった。島人(シマンチュ)の地理の知識というか距離感というかは大雑把だ。ちょっと顔が歪んだけども帰りに途中下車することにした。日本には三奇橋呼ばれる橋があるが・・、これが所望の山梨県大月にあるこの猿橋。もう一つが木曾の桟橋(かけはし)で現存しない。そして三つ目が山口県岩国の錦帯橋だ。この大月の猿橋は非常に古くて架けけられたのは、推古天皇の頃(西暦602年頃と)見られています。それ以来25年ごとに架け替えられきましたが、本橋は昭和7年に鋼製のアーチ型となり、この木製の橋は現在は史跡として保存されているようだ。大きな椚の組み合わせで構造が保たれていて非常に珍しい橋です。

【639】 江戸時代の台所の全てが揃っている・・/

        [・・御神酒樽に大徳利大きな鍋類・・]   秋の行楽地などでの紅葉狩りといへば従前は・・、車で家族と出かけたり、グループ・職場の同好会などの団体だった。今回初めての徒歩での一人は実に楽しかった。湖畔の宿を出て勝手気侭な散策というか、自分の身の丈・目線でプランプランと万物を見て歩く。湖畔の遊歩道ですれ違う者同士が「こんちわ~」と声を掛け合う。あるオバさんが「この辺は海抜なんメートルぐらいあるのでしょうか?」と問いかけてきたので、「僕の立っている地点は902mですが、アナタ様は立ち入り禁止の花壇の上ですから、標高902、45㌢ということになりますね!」 と答えた。

Labels:

【638】 河口湖のシンボル像「源泉」・・/

  [・・日本彫刻界の巨匠 北村西望 翁の終生最期の力作です・・]   西望翁が晩年の101歳の時に当地を訪れ、四囲の景観と神秘的な湖に心をうたれ、実に2年の歳月をかけて渾身の力を振り絞って完成させたそうだ。壷は河口湖をなぞらえ、知恵・希望・生命・五穀豊穣の泉、即ち万物の生命の根源を意味しているらしい。僕がこの写真をどの位置から撮ろうかと迷っていたら・・、二人ズレの叔母さんが「ここが良い此処が良い。ここならグロテスクじゃない!」などと叫んでいた。どういう精神構造をしているのであろうか?。静寂と芸術の町の散策に最も相応しくない存在だ。

11/14/2007

【637】 ここで「丸木舟」/沖縄では「刳り舟」・・/

      「この【丸木舟】は西湖の湖底から発見されたらしい」   博物館の中で特に眼をみはったのがこの「丸木舟」である。昭和31年に西湖の湖底から発見されたものらしいが・・、これで僕のヤマト・コンプレックスは完全に吹き飛んだ。古代人が海での漁や大きな河を渡るのに、当時としては一番軽くて水に浮くのは丸木だったんだ。此処では「丸木舟」と称するようだが沖縄では「刳り舟」と呼ぶ。ここでは磯の猟場で専ら使われていたようだが、南の島々では荒波で転倒しない様にと二艘も三艘も横に固定して、遠洋航海や遠くは中国・ベトナムやシャム辺りまで行き来していたようだ!・・/

【636】 ちょっとの合い間に(財)冨士博物館を訪ねて・・/

        奥の扁額は温故而知新(山岡鉄舟の書)   「温故而知新」とは昔のことを研究し新しい知識や道理を知ること・・、らしい。山岡鉄舟とは、幕末三舟(勝海舟 高橋泥舟 山岡鉄舟)と称された有名な書家でもあったらしい。この冨士博物館は1954年に河口湖畔にあった300年前の豪農の家屋を復元して開設したものらしく、この冨士山麓の厳しい自然環境を克服して、たくましく生きてきた山村民の生活民具を多数展示している。この居間ふうの座敷は「いどこ」と呼ばれる「いろり」のある部屋で、畳みも敷かれていて大昔としては大変珍しい生活空間だったとのことでした。館内は全て「撮影禁止」との事だったが、学芸員の心優しいオバちゃんに「アナタ様は冨士五湖地方で一番美しい」と申し上げて黙認して頂いた。

【635】 う~ん富士山って何処から見ても美しい・・/

        [・・河口湖で気長に待ってればよかった・・]   門前の紅葉屋さんで充分に腹ごしらえをして・・、健常者で山頂まで25~30分ほどの道程を、不自由な足をステッキでカバーしながら、一時間かけて・・ゆっくり~ゆっくり・・と登頂した。そこには雄大な霊山である冨士の御山があった。左側の雲が頂きから離れ迫り来る右側の雲が掛からない一瞬を捉えた。何時もは一風景一枚しか撮らないけども、今回は思い切って約100枚ほど纏め撮りをした。なんやらもう二度とこの山頂に登る事はあるまいと思った。写真を撮り終えて山頂広場のベンチで休憩していたら、全く偶然なことだけど〇〇脳神経外科の婦長さんと出会った。「歩行リハビリは、付き添い付きで、平坦な場所で行うべし」と・・、主治医の先生から言われていますよね!・・」と眼を三角にしてた。(^〇^) 「ハハハ。△▼先生に〇〇は登山をしてて、すっかり元気です」と仰ってくださいね」とメッセージを託した。

【634】 疲れを感じたらスタミナ食を・・/

          [薬王院門前・・[紅葉屋]・・のトロロ定食]   昨日の正午過ぎに無事に高尾駅に戻った。乗り継ぎの「京王線」ホームへと向かっていたら、山を騒がすオバタリアン達が、「いや~っ!今日の富士山は、最高だったわ!」とはしゃいでいた。30年来の馴染みの門前・「蕎麦屋」の女将さんに電話をしたら、「写真の撮影なら2時ごろまでがチャンスよ」と教えてくださった。大急ぎでリフトに乗って薬王院門前のの紅葉屋さんへ駆けつけた。代が変わってメニューから消えた「トロロ定食」が待っていた。女将が気を利かせて御自らが作った復刻版である。お碗の半分ほどの大量のトロロと、茗荷に、オクラ・セリ・山椒の葉の微塵切りなどが入っていた。その他、お新香に味噌汁つきで御代は1200円。5代目だかの後を継いだ店主が怪訝そうな眼でみていたが、(>_<) なんで【高尾山・紅葉屋】の定番メニューを外したんだろう!・・・・。//

11/13/2007

【633】 うわ~!(^〇^)でっかいな~!!・・/

     [・・530さ~んサンキューベイリーマッチ!で~す・・]   今年の7月の自分の誕生月に沖縄へ久々に墓参りに行った。二度目の[入院・手術]から解放されての束の間の帰省だった。その際に那覇市繁多川の530邸に御招待をされた。北海道の御出身であられる奥様の作られた、手料理の「沖縄家庭料理」を舌鼓を打ちながら・・、この一斗瓶から柄杓で何杯も何杯も惜しげもなく酌んで、貴重な20年物のクース(古酒)を御馳走になった。その際に、「お前さんの本格的な手術が成功したらこの瓶を上げるよ」と励ましてくださった。8月になって手術はものの見事に無事成功し、この瓶欲しさに頑張りぬいたリハビリも見事に克服した。空の瓶だと思いきやズッシリと重たかった。恐る恐る蓋を開けて吃驚して暫くしてから仰天した。中にはタップリと芳醇な香りのクースが入っている。ぐい飲みでキュキューと呑むと、まるで天水みたいに甘く素直に喉を通った。暫く間を置いてボワ~ンと五臓六腑に滲み渡った。度数を計ってみたら詰めた時のまんまの45度だった。

【632】 今日も冨士山の頂上は雲隠れ・・/

      [・・カチカチ山のウサギさんもソッポ向いちゃって・・]   当節、関東甲信越あたりから見る「富士山」は、その全てが雪に覆われているようだが・・、実は頂上だけが雪帽子を被っているだけで、お山の麓をユラり(^〇^)湯らりと散策していると、今日みたいに晴天の日は汗ばむ程だ。健常の頃に20回ほど登頂したが・・、大きな焼け岩がゴロゴロしているだけで、綺麗なものは遠くから眺めるのが一番だ。

【631】 富士山と河口湖の全容を満喫するには・・/

         [・・往復630円で地上の楽園を満喫・・]   14~5人乗りのロープウェイだが座席も4人分ある。不自由な足でモタモタしていたら立ち席となっちまった。中国人らしきカップルが「どうぞ、どうぞ、先生お掛けください」と席を譲ってくれた。国際的な儀礼として相手の親切心は、感謝の気持ちを込めて受け入れた。カチカチ山の「天上山公園」の中央に「天上の鐘」というのがある。それは幸わせを呼ぶ鐘といわれているので・・、彼らに紹介をしてツウーショットの写真を撮って差し上げた。

【630】 湖面はまるで油を流したように緩やか・・/

        [・・小魚にジッと焦点を合わせてガブリと潜る・・]   もうレストランもそろそろ空いたであろうと戻ってみたら・・、ウエイトレス達が日本人の宿泊客に「誠に申し訳ございませんが、只今フル回転で準備を致しておりますので、もう暫くお時間をいただきたいのですが・・」と頭を下げている。見事に空になったバイキングの容器を厨房へと戻すのに足繁なく通っている。まあ、中国人の食欲が日本人の1・5~2倍もあるという事を読み違えたのだろう。約50席に75人前のバイキングなら空になるのは当然だ。館内放送で「本日のチェックアウトタイムを11時までに延長させていただきます」とのアナウンスが流れていた。

【629】 関東地方で富士山周辺だけが曇りとは・・/ 

        [・・湖面には数十羽のカモの群れが!・・]   昨日の天気予報で気象予報士の平井さんが、「関東地方の冬晴れの特徴として、富士山周辺だけが曇りとなります」とさも得意げに言っていたが・・、ホテル最上階の温泉の窓から見る「・・富士山・・」の頂は今日も厚い雲に覆われている。余ほど日頃の行いが悪いのかアンラッキーだな~と思う。一風呂浴びて一階のレストランに朝食に行ったら中国人観光客で満席だった。彼らはの団体は日曜日に名古屋空港に着き、2日目は静岡などの沿岸地帯の景勝地を観光し・・、今日は午後2時までは浅草などの東京見物をし、その後は旅の最大の目的である秋葉原でのショッピングだとの事。一人当たり5~60万から100万ほどの買い物らしいが・・、今夜の10時過ぎには上海に帰るとのことだった。

11/12/2007

【628】 風林火山の山梨の名物といへば・・/

        [・・淡い味噌仕立ての「ほうとう」が美味い・・]   大きな丼の右側に三つほど茶色の茸が浮かんでいますけどもが・・、これが、秋から初冬にかけてしか食べれない大粒の幻のキノコ也。お店の方に、「この美味しいキノコってなんちゅう茸なの」と聞いても教えてはくれない・・。「ほうとう鍋」といえば武田軍の「棒の道」での戦時食であったらしい。淡い味噌仕立てで、南瓜、サヤインゲン、人参、ジャガイモ、大葱、豆腐の油薄揚げなどが存分に入ったスタミナ食なのである。

【627】 思い立ったら吉日、気がついたら河口湖だった・・/

       [・・冨士山麓の河口湖は深秋と初冬の境です・・]   悪い癖は直らないらしくて「富士山が美しい」と五湖が無性に見たくなる・・。夜明け前の始発電車に乗って気がついたら大月駅だった。富士急の各駅停車にドンコードンコーと揺られて約50分ほどで河口湖駅に・・。八王子から2時間足らずで都会とは別世界の幻想的な楽園へと足を踏み入れる。今日はウィークデェイの月曜日とあって絶景の美を独り占めしている。

【626】 今朝の富士山は格別に美しい・・/

        [・・河口湖の湖畔の宿から見た霊峰・・]   昨晩の7時ごろから約一時間ほど多摩西部・八王子は突然の雷雨となった・・。凄まじく雷鳴が轟き稲光の閃光がまるで空を切り裂くようだった。自作の俳句が特選に選ばれたので、きっと神も祝福してくれてるんだと祝宴をあげていた。日本一能天気な僕はきっと明日は雲一つない青空に・・、富士山が雪化粧で全容を現すに違いないと思った。予想はものの見事に的中し今朝の富士山はとてもとても美しい!・・。

11/11/2007

【625】 僕の俳句が選句されたよう~!・・/

         [・・八王子の長沼ネイチャーに佇む句碑・・]   バイオマス学説かざし焚火かな  昼間の行灯 ○ [弓人さんの特選句]=解説→ 「「*昼間の行灯さんの句 焚火をバイオマス学説で云々するとは、傑作!」」   【ばんじゃ~い!。バンジャ~イ!ばんじゃ~い!。】 駄作の連発だったが今宵は最高の気分になった。お師匠様のTOPPOさんから、「師匠がいいから、上達が早い、であるね~♪」という正真正銘の「沖縄訛り」での祝辞も頂戴したし、晩酌では勿体ないので一人で祝宴をはるか!。
 

【624】 柿島屋[肉そば]櫻肉たっぷり・・/

          【・・町田駅下車徒歩3分の場所・・】   店に一歩足を踏み入れると馬肉の懐かしい臭いが漂う。このお店で肉といえば全てが桜肉(馬肉)である。お醤油と砂糖で甘辛く煮込んだ柔か~い馬の肉が、田舎風味の蕎麦の丼の中央にたっぷりと盛り付けられる。その他にも馬肉料理のメニューがずらりと並ぶ桜肉の専門料理屋さん。圧巻はなんといっても霜降りの馬刺しでっせえ~。それを一度口にしたら病み付きになってしまう。因みに写真の肉蕎麦の料金が驚くことなかれ420円也。平日は午後4時からの~10時までの営業だが、土日と祝祭日は正午~午後9時まで。水曜日休日で電話番号は042・722・3532です。

11/10/2007

【623】 間も無く「八王子いちょう祭り」が始まる・・/

       [・・追分町から高尾駅までの4㌔㍍に770本・・]   この銀杏並木が植えられたのは昭和の初期で80年余が経過し、全国でも最大規模の「いちょう祭り」が毎年盛大に開催されている。なんでも有り~の数々のイベントのなかでも・・、圧巻は昭和のクラシックカー(約250台)のオンパレード。イベント名と会場は数が多すぎるのでここでは省略します。今年は「しょいソーランぱれーど」を中心に和太鼓などを見て廻ろう!・・//

【622】 初めて目にした菊の老木の盆栽・・/


【621】 見事に五重塔に這った菊の茎と花・・/


【620】 見事に咲き誇る大輪の菊・・/


【619】すがも中仙道の菊祭り・・/

           [・・大八車に飾られた歓迎の花輪・・]   冬期恒例の「とげぬき地蔵尊」前での「すがも[中仙道]菊まつりが始まった。万余の老若男女で賑っており写真を撮るのもままならない。う~ん【中山道・中仙道】といえば江戸時代五街道の一つ。お江戸日本橋から板橋へ出て、上野(こうずけ)・信濃・美濃などを経て、草津で東海道に合流して、京都に至る69宿のことをいうらしい。どうりで此処の菊祭りには出展者の出身地が中仙道沿いの方が多いのだ。

11/09/2007

【617】 万歩計は29.829歩を記している・・/

      【・・タヌキってどうしてコンナに可愛いんだろうか・・】   家から歩いて3~4分の所に『四五九』という饂飩屋があった。かなりご高齢の御夫婦が「讃岐うどん」を味自慢にして店を営んでおられたが、つい最近なんの貼り紙での「閉店通告」もなくひっそりと店を閉じた。其の店のマスコットというか看板娘のタヌキが寂しそうな表情で未だ立っていた。日本蕎麦大好き人間の僕は滅多に饂飩を口にしないが其処の饂飩はとても美味しかった。

11/08/2007

【616】 散歩道の藪の中からイキナリ息子が・・/

       [・・歩むたびに落葉がザクザクと音を立てる・・]   癌検診の帰りに又して本日二度目の健脚鍛錬ウォークへ。都立里山公園の長池ネイチャーの遊歩道を歩いていたら、右手の藪の中からガサガサという音がしてイキナリ息子(三男)が飛び出して来た。先日は長男坊が「オヤジ僕も老眼になったサー」とショッキングな電話を寄越すし、今日の場面は大きなガサガサの音もあったのでタヌキか熊の出没かと肝を冷やした。この地域一帯の役所の清掃関係の仕事に携わっているのだが、暫く野生の植物とか植え込みの中の草花に関して薀蓄のある説明を行い、「喉が渇いたので水が呑みたい」というので、自販機からミネラルウォーターを買い与えたら・・、「ジャー又ねー」と再び藪の中へと消えて行った。それを見送って後にベンチに腰掛けて「一体オイラの家族はどうなっているのだろう」と頭を抱え込んだ。ハハ。(^〇^) 

【615】 でっかいわ~!なんという果実だろう・・/

           [・・鼻を近づけると蜜柑の香りが・・]   今朝も8000歩ほど里山をテクテクとウォキングしてきた。シャワーで一汗を流して軽く牛乳とパンでの朝食。今日は市の成人検診とやらで肺癌と大腸癌の検査を受ける。きっと、常日頃から泡盛で内部消毒をしているので異常なしだ。しかし、良く考えてみると常に人の倍も働いて来たのに無明息災だった。無情な奴が「そういう人に限ってサー、ある日ポックリと死ぬもの」だよと与太を飛ばす。まあ、どんなに高望みしても人は寿命までしか生きられないそうだ。その日が何時なのかは知る由もないので仕事と遊びを交互に楽しもう!・・/