1/31/2007

敬老の日のプレゼントは此処で買いましょう!

季節の果物がガマグチ価格で・・・/

[ ころ柿とブルーべりが売れ筋なそうな]

人気の佃煮屋さんと、シルバーシューズ屋さん

どの店も店頭に商品を並べ、その奥座敷の休憩処が・・・













街の特徴か約3~4割の方々が、足をステッキに頼って居られるが・・、それぞれにはお目当ての店があるようだ。ちょっとばかり歩き疲れて、手前のベンチに腰を降ろしていたら、白髪の昔のお姉さんが傍らに座りグチを聞く羽目に。「同居している嫁に、去年の暮れに『そろそろ特養老人ホームに入居したらどうですか』と言われ、心に棘が刺さったので、今日はそれをは晴らしに来ました」との事・・。

贅沢な悩みなんだなとは思ったが、いい加減な事とか、余計な事とかを口にして、その方を傷つけてもいけないので、相槌はうちつつも押し黙っていたら、顔馴染の人らしき方が来て、仲良く連れ立って去って行った。ほんの小半時の散策だったが、駅へと戻る頃には万余の人の群れだった。ここは齢を重ねて余生を送る人々が、ガマグチから幾つかのコインを出して、小さな買い物を楽しむ街なんだな・・。

いや~ッ、ビックリして、暫くしてから仰天したぁ~・・・/













先ほどの「郡山老人会御一行様」の大きな集団が、全部買い占めたのかL、LLサイズのケース棚は空っぽだった。細身の女子店員さんが「さあ~、30歳は若返るという健康に良い赤パンは如何ですか!?。ただ今mサイズだけですが、お店の中にはその他の色んな品々を取り揃えておりますよ」と威勢のよい掛け声の呼び込みが・・・。昭和の日本を支えた御婦人達の、今日的シルバーパワーの凄いこと凄いこと。

お年寄りが関心を示すような店構え・・・/












約1キロほどの商店街には、お蕎麦屋さん、甘味処屋さん、老人向けのお薬屋さん、健康食品の専門店、お煎餅屋さん、など等・・・その他の日常雑貨の店がずらりと並ぶ。この蕎麦屋さんは開店前でしたが、製麺所の配達車が約500食ほどの蕎麦玉を搬入していました。地蔵尊から14~5人の婆さん達が出てきて・・、「赤パン屋さんは何処だっぺかや」と聞かれた。「約200M先の右側にあります」と答えたら、我先にとどーッと移動して行った。皆さんの胸には老人会のワッペンが。パン屋さんのことではありませんよ!・・。赤面するけど次の写真で公開いたします。

お地蔵さんの前で、皆が真剣な眼差し・・・/



JR山手線や地下鉄駅の改札を出た老人の群れは、まっしぐらに『棘抜地蔵尊』へと向かう。先ずはお水場で手を清めて、長い行列の末にお地蔵さんの前に辿り着く。徐にバッグから白いガーゼを取り出して、頭痛に悩む者はお地蔵さんの頭を、心臓疾患の方は胸部の辺りを、足の不自由な人は本体の腰から下をさすっておられる。御利益があって本当に治るといいね・・・。

今日の東京は気温が16度も上がるという・・・/











仕事の打ち合わせで、巣鴨駅前まで出掛けました。僅か30分ほどで用事が済んだので、今や「お婆ちゃんの原宿」として、シルバー族の超人気のスポット『巣鴨地蔵通商店街』へと足を運んでみた。いや~ッ!、居るわ居るは何千という小綺麗な・・「お婆ちゃん、お爺ちゃん」・・達の群れが。何枚も写真を撮りましたので、人だかりの多かった店を幾つか、連続で掲載することにします。

1/30/2007

美しい海と空










今朝、受信メールを確認したら、中国語とか英文のタイトルのが10数通も来ていた。大体この類のは迷惑メールが多いので、上から順に無造作に消去をしていたら、見覚えの在る名前があった。開いて見たらワシントンDCに住む、姪っ娘からのメールとフォトアルバムだった。3週間前の今月11日にニュージーランドで、結婚式を挙げたという報告だった。

1/29/2007

沖縄特産のアップルマンゴー












最近、都内のデパートとか、大手スーパーなどで沖縄産のマンゴーの売り場が目立つようになった。単に沖縄産と表示しても、沖縄のマンゴーの産地は、やんばる(本島北部)のマンゴー、南部のマンゴーと、離島の石垣のマンゴー、宮古のマンゴーといった4種類があります。いずれのマンゴーも甘くて美味しい果実です。

沖縄通のTOPPOさん、かつたかさんは、もう召し上がったものと思いますが、マンゴーという果物は不思議なものでして…、初めて食したその味覚が何時までも、自分の舌を支配するものでしてね…、僕は宮古島のマンゴーの大ファンです。燦々と照りつける沖縄の太陽の恵みで、今年もマンゴーの実りを楽しみにしています。

現場に搬入した巨大クレーン


今朝一番に現場へ巨大なクレーンを搬入した。ブームの長さだけでも80メートルもあるので、三分割をして超大型トレーラーで運んできた。自走式の大型重機に据え付けると、その自重だけでも200トンにもなります。地下部分の耐圧盤のコンクリート作業も終わったので、いよいよ明日からは躯体の鉄骨の組み立て作業です。

キャンベルスープ雑感・・・/


キャンベルの
 「クラムチャウダー」
 スープで~す。




  今朝は歯茎がパンパンに腫れ上がって、残念ながら自宅での朝食が摂れなかったので、出勤途上にコンビニでサンドイッチを買った。レジに向かう通路の棚にスープ類が並んでいた。視線がキャンベルスープのカップの前でフリーズした。まるで旅先で親戚にあったような感覚を覚えた。躊躇うことなく棚上の5コ全部を買った。

幼少の頃の沖縄での最大の御馳走はこれだった。今でもその幼児体験の味に魅せられて、OKINAWAからキャンベルの缶スープを取り寄せている。長い米軍の軍事独占支配の中で、僕らの世代の味覚は完全にアメリカナイズをされたのかも。でも、そんなことはどうでもよい事です。自分の美味しいものを食べる事が幸わせなんです。

1/28/2007

沖縄風「味噌汁」を堪能・・・

  鰹節の特産地である沖縄の「削り節」をベースにして、今日のお昼ご飯は「沖縄風味噌汁」を作りました。島の大衆食堂に入ると、メニューに「みそ汁」というのがありますが、中の具はそれぞれの店の特徴で競っています。さて、当家の「Q」お爺ちゃんは、先ずは島豆腐から入れグツグツ煮て、ジランバヤーの厚揚げ、島モヤシ、ンジャナバー、ヨモギの新芽など等で仕上げました。

はきさみよ~!。美味しくて命薬(ヌチグスイ)だよね~。涙が出るほど美味しかったよ~…。島の人の人情の厚さに感謝感激しているサー。隠し味に泡盛の古酒“暖流”を、少々垂らしたのが格別の味となった。そう言えば百歳近くまで生きぬいた、オバーの味噌汁も実に美味しかった。豆腐と畑の畦道で摘み取ってきたヨモギがけの具だったけど、「愛情を籠めて作れば何でも美味しいさー」が口癖でした。

♪もう~春ですね・・♪♪




今朝、庭で鉢植えしている「福寿草」が開花した。それを見下ろすかのようにウグイスが佇む。この福寿草は春一番を祝うかのように咲く花だ。わが家では例年は旧暦の正月に咲くのだが、暖冬のせいなのだろうかこんなに早く咲くとは・・。餌台のちょっと手前で辺りの様子を覗うウグイスが、透き通った声でホーホケキョと囀りはじめた。人間は「寒いの・暖かいの」と言ってるけども、自然界では着実に春がやって来たのかも・・・。

砂糖キビの畑


宮古島では
ブゥーズナギが
始まったそうな・・。













その昔、国会議員の調査団が沖縄にやって来て、空から島の農地を視察ている最中に、「農地は草ボウボウじゃないか、さとうキビでも植えればいいのに」と、偉そうに小言を垂れたそうだが、宮古島からの便りでは、もうブゥーズナギ(キビ刈り)が始まったとの事。それはそれは夜明から日没までの、辛くて長~い農作業なんです。

        夏のひざしの中で♪♪
ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ
あの日 鉄の雨にうたれ 父は 死んでいった♪♪・・・
         
             「さとうきび畑」作詞/作曲:寺島尚彦

宅配箱の中には/いろんな菓子類が・・・















沖縄の530さんへ心から感謝!。

クースの暖流だけかと思いきや、ダンボール箱の中には所狭しと、貴重な鰹の削り節、サーターアンダーギーのミックス粉、写真の紅芋のチップス、BLUE SEALのチョコミルク、その他幾種類ものお菓子類が詰められていました。孫っ子に横取りされる前に味見をしました。(爆笑) いや~ッ、懐かしい沖縄の甘味を有り難うございました。

とりわけ鰹節の削り節は貴重な品。ここで買い求めますと、吹けば飛ぶような薄い削りだけど、沖縄の削り節は肉厚があって、沖縄味噌汁の出汁には最高なんですよ…。それが中々手に入らないので、鰹節を丸ごと一本買ってきて、大工用のカンナで削って使っているのです。今日は久々に具たくさんの「沖縄味噌汁」を作ろうと。本当にいろいろと有り難うございました。

1/27/2007

グルクンの唐揚げも美味でした








グルクン(沖縄の県魚)[たかさご・フエダイ科の魚]

昨晩は折角の古酒「暖流」を、より美味しく呑もうと思いまして、酒の肴は冷凍保存していたグルクンの唐揚げにしました。この魚は沖縄県の県魚に指定されていて、身は白く、肉質はやわらかで、とても美味な魚です。旬といえば夏ですが、産卵前の6月ごろが最も美味しいとされています。

宴たけなわの8時ごろに、“暖流”を送ってくださった沖縄の530さんへ、お礼の電話をし、「泡盛をクースにする樫樽保存とは、発想の転換で素晴らしい味です」と感想を述べたら、ウイスキーかブランディーみたいだろう」との事だった。当人は専らのウイスキィー党なはずだが、さては齢を重ねて泡盛の味がわかったのかな。

1/26/2007

島から熟成古酒『“暖 流”』が送られて来た!・・。


琥珀伝説“暖流”です。


有り難う!有り難う!。











このブログでの琉球泡盛に関する回顧談とか、各種銘柄の談義を御覧になられた530さんからメールとか電話を頂いた。一時間近くも泡盛談義に花を咲かせたが…、「ところで泡盛の古酒で樫樽貯蔵の“暖流”を飲んだことあるのか?」という話題に転じて、「噂には聞いているけど実は未だなんだよ…、」とお答えをしたのだが、早速今日宅配便で送られて来ました。いや~ッ、何と御礼を申し上げたらよいのやら…。

胸躍らせて早速試飲してみると…、う~ん!、甘い樫樽の風味とクースの豊なコク、程好い飲み応えを兼ね備えた実にバランスの良い泡盛です。流石は地元沖縄での「泡盛鑑評会優等賞」を1974年以来14回も受賞し、6年連続で国際モンドセレクション金賞受賞に輝いた銘酒です。どうやら今宵は最高の酒宴となります。先代の社長さんには工場が那覇市松川にあった頃でしたが、僕が子供の頃にうんと可愛がられたし、中学の頃に陸上競技の県大会400mで優勝した時、US㌦で10ドルのお祝い金を頂いて吃驚したものです。

芝大神宮と神明祭礼図











芝大神宮は都内に現存する最も古い神社で、創建は西暦1005年に遡るといわれています。自分の会社はその直ぐ傍にあり、企業氏子でもあるので何かの行事には必ず参例。この芝大神宮の例祭は毎年9月16日前後の10日間にわたって行われます。その長さゆえ江戸っ子たちからは「だらだら祭り」とあだ名で呼ばれ慕しまれてきたという。

芝大門の更科布屋(お蕎麦屋さん)


[芝大門 更科布屋]
芝大門1-15-8
電話3436ー3647









JR浜松町駅北口を出て、芝増上寺の大門の手前に構えている1792(寛永4)年創業の老舗。大の蕎麦好きの僕は月に2~3度は通う。メニューの中で最もお気に入りなのが、ザルに盛られた月替わりの三色蕎麦。ヨモギやユズなど季節の香りを打ち込んだ人気のメニューです。その他いろんなお品書きがあるが、昼食の時間帯の平均価格は900円ぐらいだ。夜は1500円前後ですが2階の座敷に上がれば、宴会やパーティー(予算4000円~)も。

JR浜松町駅の小便小僧


[衣替えをするブロンズ像]
















小便小僧といえばベルギーのブリュッセルのジュリアン坊やだが、ここ日本でも多くの公園の噴水広場などにある。さて、今日のご紹介はJR浜松町駅のホームで、その時その時の季節ごとに衣替えをして、多くの通勤客に愛嬌をふりまいている坊や。たしか夏の頃はアロハシャツだったが・・、この新春は門松を傍らにして羽織袴でした。

1/25/2007

今日の東京は雲一つない快晴です


[芝大門一丁目の交差点から]













今朝で持病の「心臓病」・「高血圧」・「糖尿病」の薬が切れた。掛かり付けの診療所は自分の会社の所在地の芝大門にある。出向先の豊島区の建築現場から電車で小一時間ばかりかかるが、知人の奥様から電話があり…、「いろいろとお世話になりましたが、実は主人が晦日に亡くなりまして…」という悲報が届いた。 普通なら薬が切れても2~3日は平気だけども、今回ばかりは真面目に通院しなきゃという気分となった。

お決まりの診察・検診を受けた後に、主治医から「先月の精密検査の結果も、数値的には概ね良好です」と告げられて安堵した。寿命でバターンと死ぬのは構わないけども、今、自らの怠慢とか不養生で倒れるわけにはいかない。今日は定時で仕事を切り上げて弔問に行く事にした。昨年の秋に入院している病院にお見舞いに訪れたら、本人から「癌の病らしい」と言われ、有明の『癌研究会』・付属病院の専門の先生へ紹介状も書いたのだが・・。長い論争相手だったが仏前では何を語ろうか。

1/24/2007

沖縄のパパイヤ料理






本州では八百屋さんなどで、黄色く熟れたのを果物として売っていますが、沖縄ではパパイヤといえば青い果実野菜。ちょっとした屋敷構えの民家には、南の角地などに2~3本が植えられています。その料理はパパイヤ・ウンブシーか、豚肉の切り落としで炒める、パパイヤ・チャンプルーでしょう。

島では昔から産前産後の女性が、乳の出が良くなるといわれて、パパイヤ入りの肉汁などが食卓の出たものです。この果実にはパパインという酵素が含まれていて、たんぱく質とか、糖分、脂肪分を分解する効果が抜群とのことで、近年、生活習慣病、特に、糖尿病の食餌療法に注目されています。その料理方は、皮を剥き、中の種を取り除いて、千切りにして炒めるという、いたってシンプルなものであります。

沖縄の味覚・なーべーらー


糸瓜(へちま)



沖縄県物産公社の“わしたショップ”とか、杉並の和泉商店街の『沖縄タウン』でも売っていますよ~。



 ゴーヤーと並んでこれも沖縄の夏野菜の定番です。厚み2センチ」ほどの輪切りにして、お味噌汁の具としても甘みがあって美味しいですが、何と言ってもナーベーラーうんぶしー(炒めて味噌煮)が、ご飯が進むしポピュラーな食べ方だと思います。

ここ本土で作られているものは、その用途としてお化粧用の糸瓜水、お風呂での入浴時の垢すりとか
として使われていますが、ここの作物でも開花後2~3週目の若い果実なら食せます。よく「沖縄の人は垢すりを食べるの?」と、怪訝そうに質されますが…、島のオバーが若々しいのは、この繊維性の高いビタミン豊富な野菜を、ふんだんに食べているからかも知れませんね。

沖縄の市場の店頭に並ぶ島野菜











中央手前は生のパパイヤ。その他、円空菜、ニガナ、ヨモギ、ゴーヤー、にら、オクラ、砂糖キビ 等など。沖縄の市場に並ぶ野菜は、ビタミンを豊富に含んだ緑黄色野菜が多いのが大きな特徴だといわれています。それらは癌の発生を抑制して、身体の調子を整え、成人病をも予防するという優れたものばかりです。

 何度も沖縄へ旅をなさったTOOPOさんとか、かつたかさんは御存知でしょうが、ゴーヤーの次に有名な果実野菜の炒め煮として、なーべーらー(ヘチマ)のンブシーがあります。包丁の刃で果実の皮の表面を剥ぎ落とし、輪切りにして軽く炒めて、予めお湯で溶かした味噌を注ぎ込んで、8~10分ほど煮込みますと、美味しい「なーべーら・んぶしー」の出来上がりです。茄子の味噌にと作り方は同じです。

1/23/2007

復刻ビールに復刻駅弁!・・。

今日は珍しくも仕事が半日で終った。かねて、かつたかさんと、DORAさんが味わったという、復刻ビールを探し求めて都内の方々を回った。どの酒屋さんも「数量限定の人気が高い商品でしたので、年の初めには売り切れでした」という事でした。諦めの境地でトボトボと家路についたが、ひょっとしたらと思い自宅近くの酒屋に立ち寄ったら、なんと天井まで何ダースも高く積まれていた。これぞまさしく「灯台下暗し」いうことでありました。(苦笑) 僕は「急がば回れ」から見放されたみたいだね・・・。今宵は「復刻ビール」に「復刻弁当」を心行くまで味わおう。

新宿のデパ地下の酒類コーナーに、「全国駅弁大会いよいよ最終日」という、大きなポスターが貼られていたので、7Fの特設売り場へと足を運んだ。どこからこんなに集まって来たのだろと思うほど、たくさんの爺婆が血眼になって蠢いていた。長万部駅の昔懐かしい「かなやの蟹飯」を買った。あれは35年ほど前だったけども、「沖縄県祖国復帰協議会」を代表して、北海道へ3週間のオルグ活動に派遣された時に、次の街へと向かう駅のホームで、支援者の労働組合の婦人部長さんが「どんなにアメリカの官憲に弾圧されても頑張ってね」と、渡してくださった想い出の駅弁なのです。

石垣島の請福


[請福の三丈甕]


石垣市 新川 148-3

℡0980-82-3166










沖縄県の最南端の市・石垣島に“請福”あり。この酒は泡盛酒蔵の本場である首里の味があする。酒造所の傍らに『泡盛博物館』があり、泡盛の歩んできた古来の歴史を知ることができる。泡盛づくりに用いられた道具類や、酒気とかボトルなどが展示されている。製造過程の紹介とかも親切に行ってくれるし、別では嫌がる工場見学などもさせてくださる。

あれは中学校時代の頃だったか…五つ昔前に今は亡き父の紹介状をもって、船旅で石垣島に渡ったが、当主の漢那ご夫妻が車で石垣港まで迎えに来られ、三泊四日の滞在中に島の方々を案内してくださった。当時、僕の父親は県内の泡盛産業をたばねる沖縄県酒造連合会の専務だった。夏休み等の長期休暇の時などは、父に連れられて県内の酒蔵を訪問したりした。だからだろうか泡盛の味には煩いほうだ。

宮古島の多良川酒造の泡盛


宮古島の地酒、多良川の泡盛







多良川(たらがわ)の泡盛は城辺町(グスクベ)の上比屋森の麓から湧き出る伏流水と、伝統の黒麹使った大自然の中で育ったもの。

宮古島の地質は、サンゴ礁が隆起してできていて、浸透性の高い琉球石灰岩からなっています。山らしい山のない島ですので、降った雨水は自然に濾過されて、ミネラル成分を多く含んだ硬質の地下水になるという。多良川の泡盛はこの水で作られ、芳醇な風味を生み出しています。

僕は古酒の『琉球王朝』が大好きで、毎年2ケースほど宅配便で取り寄せてます。宮古島には…「お通り」…という風習がありましてね…、親戚・友人などとの酒盛りの場合に7人いれば7人と…、それぞれが口上を述べ合って乾杯をします。7×7=49回も乾杯を繰り返すと、どんな呑んべーでも酔い潰れてしまいます。

1/22/2007

沖縄の珍味・“豆腐よう”のお話し

写真は、あさひの「豆腐よう」です。

(@630円/一パックに4コ入り)

※ その他沖縄では数種類の製品があります。

15世紀ころに中国から製法が伝わったようだが、沖縄独得の紅麹・古酒によって、なんと120日以上も醗酵・熟成の時を重ねた別名「“東洋のチーズ”」と珍重がられる沖縄の珍味。凝縮された奥の深い味だけに、爪楊枝とか竹ベらで少しづつ口にする。この豆腐ようの紅色は、紅麹の天然色素であり、その残ったタレにキューリとか、キャベツをソース替りにかけて食べると格別な味がする。

泡盛の飲み方

[・・・泡盛入門・・・] 「・・・蒸留酒ならではの飲み方が楽しめる泡盛・・・」

ストレートやオンザロック、水割りにお湯割り。泡盛は蒸留酒なので、飲み方に制約はありません。この寒い冬だと「お湯割り」が一番かも知れませんね…。瓶入りともなると大体が10年も以上の古酒です。この古酒のことを島では「クース」と称していますが、クースならば小さなお猪口で、ちびちびとなめるようにその芳醇な香味を味わう。口当たりは天水みたいですが、酒の度数は43℃以上もありますので、傍らのタンブラーに水を置いておくのが無難かも。酒の肴としてはどんな料理でも相性が良いけども、爪楊枝で「豆腐窯」を突っつきながら呑むと最高の気分です。

美ら島物語・座喜味城址(ざきみグスクあと)

この座喜味城は沖縄本島中部の読谷村にあります。築城家としても名高い護佐丸(ごさまる)が、15世紀の初期に築いた城といわれている。護佐丸は中山王の尚巴志(しょうはし)と伴に、北山や南山と戦い三山統一、いわゆる琉球王国の統一に大いに活躍した武将である。それ以前は此処より北側に位置する山田城(やまだぐすく)に居城していたが、滅びた北山の旧勢力を見張る目的で、この座喜味城を築城したと言われている。見晴らしの良い丘陵地だけに首里城の守護という、前方軍事拠点として大いに采配を奮ったことであろう。

孫の土産の「三色クローネ」で~す。


[孫っ子からの頂きもの…]
  (10歳の・男の子)





最近は毎週という事でもないが…、週末になると孫っ子から電話があったり、ひょこっと訪ねて来てくれる。元気な顔を見るだけでも嬉しいけど、時には思いがけなくもお土産を持参し、「爺~ッこれ大好きなんだろう?。ジャムは身体に良いからね…」と、菓子パンのクローネを差し出してくれる。30分ほどで立ち去って行くが、去り際に「もしも用事があったり、声が聞きたくなったら、遠慮なく携帯に電話してよ」などと、話し方も随分と大人びてきた。最高に美味しかった!~~。

1/21/2007

もう、行かれましたか西表島へ・・・。


[殿と居座るマングロ-ブ]







沖縄(県)那覇市の漫湖でも見かけるが、何といっても圧巻なのが西表島のマングローブだ。川下の淡水と海水が入り混じる水域で生息するという。自らの生命の根源的な栄養分を根元か獲り、燦燦と降り注ぐ太陽からその活力を得るという。その幹と枝には名も知らない小鳥とか、彼の不可思議な椰子蟹が暫し休息をするという。

この日本国の南の最果ての孤島の地に…、このような亜熱帯の原生林があるとは、どれだけの人が知っているのだろうか。この地では時の流れはチクタクと自然のままだ。もしも、この世に時計がないとすれば、此処では「朝」と、「昼」と、「夜」しかないだろ。東の水平線からスッスッと太陽が昇り、その陽光の豊な恵みを降り注ぎ、やがて西の彼方へと沈む束の間がこの島の営みだ。

今日も、歩け歩けです。


[高尾山の天狗像]








外回りの仕事柄か…、万歩計での一日の歩数は、28.000から32.000歩ぐらいとなる。まさに健脚商売なのであります。日曜日の休みを家でダラダラと過ごすと、週明けの業務がとてもシンドクなる。今朝もリュックを担いで山登りです。こういった日頃の鍛錬が自分を強くする。家族の者が「休みの日ぐらいは身体を休めたら」と心配するが…、いばらな道は自分で切り拓くしかないのです。

1/20/2007

地下10mの作業現場です・・・/


今日は24節の「大寒」です。
「めちゃくちゃ寒~いです」




昨年12月の初めから…、連日のように生CON打設を行っていますが、何しろ超大型建設現場なので、今もって地下の耐圧盤のコンクリート作業です。この作業員の皆さんは沖縄からやって来ていますが、「大和の寒さは身に凍みて堪えるサー、早く終わらせて暖かい島に帰りたいよ~」と涙声で訴えています。

10日ばかりのお正月休暇で帰省をして、東京に戻る前日の晩は世話役宅で「冬場の本土は寒いから厭だ」と随分とゴネたようだが…、島での建築の仕事が見当たらずに又して東京へと戻ってきた。島の人達にしては珍しくも、[無遅刻・無欠勤]で頑張っています。あの独特な「二日酔い休暇」もないので、今晩あたり『泡盛の熱燗』でも御馳走してやろうかな…。

また一つ「島のお店」を見つけました。


沖縄料理・「美ら海」
東池袋1-40-2
03-5956-4084


池袋駅の東口を出て、パルコから明治通りを六つ又陸橋方面に2~3分の行くと、この“美ら海”の看板があります。未だ入った事がないのだが、件の職場の同僚嬢たちが「島のヘルシー料理も、泡盛の各種カクテルも、それはそれはトロピカルな味がする」との事です。

近年、首都圏でも大きな駅の近くに、沖縄料理の店が目立ちますが、この本土から年間2~300万人の観光客が訪れるので、あのゴーヤーちゃんぷるーとか、奥ゆかしい泡盛の味を求めて、週末などは大入りの賑わいのようです。その味がヤマトんちゅ好みにアレンジされていなければ良いのだが…。

海が綺麗なのは汚さないからだよ~。

サバニ(沖縄独特の板舟)
波間に漂う小型のサバニです。向こう方に黄色いブイが見えるので、きっと漁師さんは舟の下に潜水し、銛を片手にして蛸漁か、シャコ貝でも獲っているのでしょう。このリーフから外海に出ての漁の場合は、省エネでの帆掛け舟となったりしますが、さらに島伝いで遠洋に出るときはエンジンも使います。無線は装備されていませんが、今では携帯電話があるので、漁師さんも安心して漁ができるとか…。

その昔、西表島に一ヵ年ほど駐在していた頃ですが、沖で魚釣りをしていたら急速に時化となり台湾の近くまで流されました。三日後に緊急出動した米軍の哨戒艇に救助されましたが、その艇長に「流石は沖縄のシーメンズだ」と褒められました。必死になって助けを待っている間、わざと舟を転覆させて船体を覆いにして、じっと暴風雨をやり過ごしていたのです。無手勝つ流の島人の知恵ですかね―。

外国人の個人経営の店を応援したいね…。


インド料理の店・[シャマー]
(東池袋三丁目交差点前)
   (春日通り沿い)
 (ランチサービス995円)
  …11時~15時…
昨年の夏場に5~6回も通った。ランチサービスでは焼きたてのナン、サラダ、スープ、二種類のカレー、それにデザートが付くので、ボリュームはたっぷり。お昼の時間ともなると、若いサラーリーマンとか周辺のオフィス嬢などで満席状態。

先日、顔馴染のミャンマー人の店長が…、「ランチタイムは盛況なのだが、肝心の本格営業時に客入りが悪くて、経営は非常に厳しいです。どうか職場の食事会で使ってもらえませんか」と営業にいらした。その晩に若い連中を10人ほど送り込んだら、これは「お礼」ですと、僕の大好きなのナンを持参なされた。

1/19/2007

沖縄の海と島と空と白浜

 職場のお昼休み時に延々と、沖縄の島々を旅をして来た方々が、沖縄談義に花を咲かせている。日中はドライブでいろんな海岸を散策し、夜の帳が下りてからは街へと繰り出して、ライブで島唄をとことん堪能したそうだ。僕が「沖縄ってサ、冬場も良いかも知れないけど、何と言っても“太陽の季節”が最高だ思うよ」と、口を挟んだら、「まあ一度は行ってみてから講釈してくださいな」でした。

       (「写真は糸満市のギーザビーチ」) 

街角の「庚申塔」で~す


庚申塔(東池袋2-56)
 [自然石 天保13年]

中国の道教によれば、人間の身体には、頭、内蔵、下半身
に一匹ずつの蟲(三尸・サンシー)が住んでいるという。この蟲どもは普段から、身体の中で悪さをして病気の原因になっているのだが、それだけではなく60日毎にやって来る庚申の日の夜には、身体を出て天に昇り、その宿主の悪い行いを天帝の告げ口を行うそうだ。

そんな蟲は殺してしまえばいいのに、五穀を絶ったりしなけければ、懲らしめることが出来ないので、人々は庚申講を開いて徹夜で、この蟲が天に昇らないように見張りをしたそうな。私達の身の周りにも「告げ口」をする、性質の悪い人間がいるけども、そういった卑劣な行為は、ぜひ止めてもらいたいものですね…。

寒中お見舞い申し上げます


  今朝も6時前に家を出て八王子駅に向かった。風が強くて寒さで手足は悴むし、吐く息は蒸気の様に白く漂い、南国育ちの僕にはちょっと辛い。始発駅からの乗車なのだが、時によっては席に座れない事もある。明日は一年で最も寒い「大寒」だそうだ。それさへ乗り超えれば暖かい春の到来なんだと、気持ちを鼓舞させながら職場へと向かった。

1/18/2007

今宵も晩酌は泡盛で


一年365日お酒を嗜んでいます。もう量的にはそんなに呑めないけども、喉を潤すために缶ビールを1~2本のんで、その後は琉球泡盛が定番です。今日は年末年始の長期休暇で沖縄に旅をした現場の同僚の方から“豆腐よう”をお土産に頂戴したので、晩酌も格別に美味しいだろうなぁ~。


 Qさん~ッ「沖縄ってとても素敵な島ですよ。行かれたことはないでしょう」と言われたけども、じっとダンマリを決め込んだ。(爆笑) 本島北部の豪華なビーチホテルに2泊し…、宮古島と那覇市でそれぞれ一泊したらしい。うわさにたがわず海は紺碧で、空はどこまでも透き通っていて、とてもとても美しかったそうな…。「是非とも一度は行くべきだと思います」と、何度も何度も綺麗な声で勧められました。うぅ~ん、一度といわずに後7~8回は帰省しようかな。島んちゅの素性がバレたらどうしょう…。

孫には敵わないです…/










[天高く聳えるクレーン]

幼い孫っ子に「毎日早朝に出掛けるけど、お爺ちゃんの職業は何なの?」と聞かれて、どう答えてよいのやら説明に窮した。一応、「建築関連の仕事なのよ」と言ってはみたものの…、「その歳でそれは無理だよな~。もう引退したらと思うけどなぁ」と、手厳しく注意を施された。「それとサー、この際言っとくけど、卵を三個もスクランブル焼きにして食べてるようだけど、そんなバカやってたら早死にするよ」にギャフン。

子育地蔵尊


東池袋二丁目(春日通り)に子育地蔵尊が佇んでいる。[昭和31年3月末日再建]と記されているだけだが、立派な御社に納められて常に灯明が燈り、お線香が焚かれ、花瓶には季節の草花が添えられている。その守り役は84~5歳の老女だとのこと。

道行く多くの中年の御婦人たちが、足を止めて深々と手を合わせては立ち去って行く…。 きっとこの「地域の子供達」の守り神なのであろう。戦後のこの日本という国は、ずっと平和が守られて、経済的にも高度に成長したが、気づいてみるとどの国よりも高齢化社会となり、少子化対策と、子育て支援が、国の最重要課題となった。

1/17/2007

軍事占領下の沖縄「A」サイン飲食店


この[A]サインという標識は、アメリカ軍人と軍属者が、店を利用しても良いという許可証のことで、「APPROVED」の頭文字からきているのだそうであります。治安が安定した1953年頃から、米兵とその軍属らも基地の外で、休暇とか飲食をしてもよいという事になったのだが、にわかに親米的となった一部の追随者の飲食店経営者に与えられものです。

米軍当局によるその衛生基準は厳しくて、規定によれば店はコンクリートづくりで、トイレはタイル貼り、ペーパータオルが備え付けられ、全面道路は舗装されていなければならないとか、店全体が清潔で常に清掃されていあなければならない。使用人は週に一回、保健所で検査を受けなければならないとかで、相当に厳しいものであったようです。当然の事ですがリューチゥーアン(琉球人)は、立ち入り禁止でありました。

何度かジョンソン軍曹に連れられて入ったが、抜き打ちで巡回に来たMPに「ゲラリヒヤー」と店外に追い出され警棒で殴られた。その黒人の軍曹が「俺の友人だ。何をしやがる」と抗議をしたら、彼は即刻逮捕されて営倉入りとなった。白い豚のMPは黒人兵と、黄色い沖縄人が大嫌いなようだった。しかし店の中で食べたステーキとか、ラッキーラガービール、黄色い色のアイスクリームは、最高に旨かったなあ~。生まれて初めて食べたレタスは、この世のものとも思えぬ程に美味しかったです。